2019年6月16日     三位一体主日・聖霊降臨後第1主日(C年)

 

司祭 パウラ 麓 敦子 

イエス様の面影に強められて

 一定以上の年齢の方は『星影のワルツ』という歌をご存知だろう。50年以上前にヒットした歌である。
「別れることは辛いけど、仕方がないんだ君のため」という歌詞で始まるこの歌は、愛し合った恋人の別れの風景を歌っている。「君と別れることは本当に辛い。君のことを今でも死ぬほど愛しているけれど、別れることが君のためになる。別れに星影のワルツを歌おう」とワルツ調の旋律にのせて切ない思いが歌われている。

 「わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのはあなたがたのためになる」(ヨハネ16:6〜7a)
 イエス様がこの世を去って行かれることを聞かされて悲しみに暮れる弟子たちに、イエス様がかけられた言葉である。
 「星影」という言葉は、「星の影」であるのに、それは「星の光」を意味している。悲しみで心を一杯にしながら、今、別れていく二人を、星影が照らしている。
 神様のもとからこの世に降って来られたイエス様は、この世の光として、暗闇の中で悲しみに打ち沈む多くの人々を照らしてくださった。間もなく別れていく二人は、星影に照らされた互いの姿を、その目に刻みつけることだろう。刻々と迫りくる別れの時を前にして、今、弟子たちの中には、これまでイエス様が見せてくださった数々の偉大なみ業が、次々と照らし出されていることだろう。

 「わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである」(ヨハネ6:7b)。
わたしたちはいつも共にあった大切な存在を失った時に、かえってその存在を強く感じることがある。 目の前から姿を消し、二度と再び見ることができなくなったその存在の面影に強められ、力を与えられることがある。もしも、イエス様が、この地上で永遠にわたしたちと共におられたなら、わたしたちは、ただただイエス様のなさる偉大なみ業にばかり気を取られることだろう。大いなる光でこの世を照らし、人々の裏切りによって十字架につけられ、神様のもとへ帰り、目には見えない存在となられたからこそ、わたしたちの目の前には、イエス様を主と信じない罪、イエス様が本当に子なる神であったという義、支配欲によって人々を抑圧している権力者たちに対する神様の裁きというものが、確固たる輪郭をもって照らし出されるのである。
 イエス様なき後、この時代を生きるわたしたちは、イエス様の面影なる聖霊に強められながら、イエス様が示してくださった神様へ至る真理の道を歩んでいきたいと願う。