執事 アンデレ 江渡由直
「すべての人を一つにしてください」【ヨハネによる福音書17:20−26】
この福音書はイエス様が十字架上で死を控えた最後の晩餐の席で、弟子たちに遺言のように語られたヨハネ福音書の13章21節から16章33節(告別説教)の後に続く箇所です。
17章15節では「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪いものから守ってくださることです。」と、弟子たちの誘惑や迫害される危機を感じ、ここでは守ってくださいと祈られました。
そしてイエス様には十字架が差し迫っていましたが、弟子たちとの会話はちぐはぐで、イエス様の思いが分からない状況でした。このままではいくら彼らに説教してもイエス様がいなくなれば、同じ道を伝えて歩みながら、妬みや争いでばらばらになっていくのだろうと心配され、「お願いします」と弟子のために父なる神様に祈るしか手立てがなかったのです。
また、聖書の福音(良き知らせ)は弟子から弟子へ、そして2000年後の「彼らの言葉によってわたしを信じる人々」(20節)のわたしたちにまで福音が述べ伝えられてきました。しかし、わたしたちも直接の弟子たちのようにイエス様のことを素直に分かることができませんでした。しかしイエス様は、分からないためにすれ違っている、反抗している、悩みの中にいるわたしたちを憐れみ、祈って、慈しんでくださっています。そして、今も「お願いします」と祈ってくださっているのです。なぜならイエス様にとって、信じてついて来る人は大事な宝なのです。
わたしたちも色々な場面で「お願いします」をよく使います。また「お願いします」と依頼されることもよくあります。そして、どんなに思いを込めてお願いしても叶わないことがありますが、イエス様の「お願いします」には絶対的な力があります。ここでは、ちぐはぐな弟子たちを心配して一つになるように。また、わたしたちも一つになることができるようにと、イエス様はばらばらな弟子たちやわたしたちを祈りで包んでくださったのです。
わたしたちは既に聖書で見たように、イエス様と父なる神様は愛と服従により「一つ」になられました。その愛と同じ「愛」が弟子たちにもわたしたちにも注がれ、皆が互いに愛し合い、お互いが「一つ」になることができるようにとイエス様は願い、祈ってくださったのです。
イエス様の救いを信じ、聖霊に導かれ、父なる神様と一つにされて、わたしたちを「一つに包んでくださる」ところが教会です。皆様と一つに包まれる祈りの時が与えられることを深く願います。
主に感謝
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