2019年5月19日     復活節第5主日(C年)

 

司祭 マタイ 出口 創

言行一致でももたらされる結果は…

「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。」…そして永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。【使徒言行録13:46,48】

 後に「異邦人への使徒」と称されるパウロですが、少なくとも使徒言行録の初期では、ユダヤ人にキリストの福音を告げ知らせては拒否され、反比例するかのように異邦人が信者になっていくことが記されています。パウロの心意気を推察するなら、「わたしはユダヤ人にキリストの福音を告げ知らせる!」と一貫しているのでしょうが、結果は正反対。ユダヤ人には拒否され、異邦人に受け入れられていきます。言行一致、でも結果は正反対。ここに「神さまの召し」の特徴が端的に現れているように思います。
 召しを受け入れた人はその召しに適うべく努めますし、その人の言行一致、一貫性を見出すことはできるでしょう。でもそのもたらされる結果は、召された人の思いや願望をはるかに超絶した神の業なのだと思います。その差異のあまりにも大きいことに、挫折や敗北、諦念や絶望を痛感するかもしれません。
 でも召された人の、時にお門違いな意気込みや一貫性(広義に「エゴ」と呼べるかもしれません)をすら用いてでも、神のみ業、み心は、神の願う通りに必ず成就されるのです。