2019年3月17日     大斎節第2主日(C年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

「イエスさまによって、前を向いて生きていく」【フィリピ3:17−4:1】

 本日は大斎節第2主日の聖書日課、使徒書の箇所に選ばれているフィリピの信徒への手紙3:17−4:1の箇所を見てみましょう。このフィリピの信徒への手紙はパウロがフィリピの教会に喜びと感謝、励ましと警告を与えるために書いた手紙です。
 まず18節でパウロは「キリストの十字架に敵対して歩んでいるものが多いのです」と言っています。このキリストの十字架に敵対している者とは誰でしょうか。それはキリストを信じると言いながら、救いの保証を自分の能力やわざに見出し、キリストを不要とする人たちです。パウロはそのような人の行きつくところは滅びであり、この世のことしか考えていないと伝えます。そして、20節以下で、パウロはわたしたちの本国は天にあるといいます。さらにその天からイエスさまが救い主として、いつの日か再びこの世に来られることを待っているのだと言います。そして、そのキリスト、救い主であるイエスさまがすべての物を支配下に置くことができ、卑しい体を、イエスさまご自身の栄光ある体と同じ形に変えてくださると言っています。だからこそ、パウロは愛するフィリピの信徒に、主であるイエスさまによって、しっかりと立つようにと言っています。
 イエスさまがフィリピの信徒に言われた言葉は、現在を生きるわたしたちにも言われている言葉です。わたしたちは日々過ごしていると、キリストの十字架に敵対している者のように、救いの保証を自分の能力やわざに見出し、キリストを不要としている時があるのではないでしょうか。自分こそが救われているのだと思いたい、自分こそどんな時でも正しい意見を言うことができる人になりたい、人生の勝者でありたい、という誘惑に出会う時があるかもしれません。これらの誘惑のゆえに、私たちは心を神様に向ける生き方、すなわち悔い改めの生き方をしていくことが難しく思えてきます。自らの弱さに向き合うことが難しく思えてきます。このことからパウロが盛んに反対者を批判していることが、決して単なる昔話ではないことを思わされます。
 だからこそ、パウロはこのフィリピの信徒への手紙を通して、わたしたちに対しても、傲慢な心があるがゆえに、主であるイエスさまによって、しっかりと立って生きていって欲しいと言っています。さらに、今、この世で生きている現在は、救いに預かる途中であるので、将来に希望を持って生きて言って欲しいという、パウロから私たちへの励ましです。そのためにも、わたしたちは4月20日まで続く、慎みを大切にするシーズンである大斎節の間こそ、主日礼拝を大切にし、自らの弱さに向き合い、心を神様に向ける、イエスさまに心を向ける悔い改め、懺悔を大切にすることができればと思います。さらに、神様に、イエスさまに心を向けることによって、将来に希望を持ってしっかりと立って、前を向いて生きていくことができればと思います。