2019年2月24日     顕現後第7主日(C年)

 

司祭 テモテ 宮嶋 眞

敵と愛【ルカによる福音書6章27節〜38節】

 イエス・キリストが語ったといわれる言葉の中に「敵を愛しなさい」という有名な言葉があります。
 クリスチャンなら当たり前と思うかもしれませんが、初めて聞くととてもショッキングな言葉です。
 そもそも、愛することができるならその人は敵ではないはず。愛せないから敵なのです。ですから本当に不可能なことを言っているとしか思えません。
 今日の聖書の箇所では、「敵」とは、私を呪う者、侮辱する者、頬を打つ者、上着を奪い取る者などがあげられています。自分を物質的にも精神的にも傷つける者といってもよいでしょう。そのような敵を愛しなさい、といわれても戸惑ってしまいます。「ムリ!」と一言で片付けたくなります。
 実際、自分が脅かされ、恐怖を感じたとき、危機を感じたときには、まずはその場から離れ、逃れることが重要です。さらなる危険を負わないためにも、緊急時には「遮断する」ことで自分を守ることが必要です。
 しかし、大きなトラウマ(傷)を受けたときなどは、時間がかかるかもしれませんが、落ち着いてきたときに、その経験を振り返って見ることも大事です。その時自分が感じた恐怖は何だったのか? 何が自分にそのように感じさせたのか? 相手はその時どのように思っていたのか? などなど、、、自分自身で少しずつ直面することが必要です。ゆっくりと振り返り、時には信頼できる人の助けを借りて、究明していくことが大切です。
 そして、自分の感じた恐怖はこういうことだったのか、ひょっとすると相手はこう考えていたのではないだろうかなど、その時とは異なる見方、考え方ができるようになるかもしれません。そうなったとき、苦い思い出は消えなくても、その経験は自分の人生の糧となったと言えます。
 そしてそのときに長い時間がかかったかもしれないが「敵を愛する」ことが不可能ではなくなる道が開かれていくように思われます。

 今日の聖書の続きには「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」とも書かれています。
 自分の発言や行動が、この言葉に沿うものであるのかどうか、時々は振り返ってみたいと思います。