2018年12月9日     降臨節第2主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 石塚秀司

ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。 谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(ルカによる福音書3:3−6)

 イエス様が救い主として活動されるに先立って、洗礼者ヨハネという人が、ヨルダン川沿い地方で罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えたとあります。その内容は、旧約聖書預言者イザヤの書40章3節以下に書いてある通りであると福音記者ルカは述べています。この言葉についてこのような解釈があります。

 「谷はすべて埋められ」、これは、神に対する私たちの浅はかな理解が改められ、疑いと失望を除き、利己主義を捨てること。「山と丘はみな低くされる」、これは、高慢な自己満足、鼻に付く義人面、そのようなものは低くされること。高慢な思い上がった罪人に、神との交わりが与えられることは決してない。「曲がった道はまっすぐに」、これは、動揺しやすい心、そのような心は神様に向かう決心の、まっすぐな道を持たなければならない。二心の者は、まことの神を全く知らない。「でこぼこの道は平らになり」、これは、罪のつまづき物は取り除かなければならず、反抗のとげいばらは抜き去らねばならない。

 私たち人間は、この言葉が示しているような谷あり、山あり、丘ありの中を、曲がりくねったでこぼこ道に、いかに困惑し悩まされていることでしょうか。もしこの世界の人々が皆、高慢な自己満足や利己主義を捨てて、つまづきとなるものから開放されることができたとしたら、素直に聖書が伝える愛に生きることができるとしたら、私たちの一人一人の人生も変わってくるだろうし、この世界もどんなに変わってことかと思います。
 新しくできた新名神高速道路を走って思ったことがあります。今までの高速道路とは大きな違いがあります。あまりカーブがありません。上り下りが非常に緩やかです。一言で言うとまっすぐに近い。地道だったらなおさらですが、今までの高速道路も地形によって結構カーブや上り下りがありました。それが少ないのが新名神の特徴であるように思います。できるだけ一定の高さ、直線を維持するために、山があればトンネルを掘る、谷があれば橋を作り道をまっすぐにする。高速道路を造る発想というか技術が随分進化しているなと思いました。そして、そのことによって、よりスムーズに早く、また燃費もよく、快適に走れるように工夫がなされている。私たちの心に通じる主の道、信仰の道もまっすぐにしでこぼこを平らにすることによってイエス様はスムーズに来てくださるのではないでしょうか。
 今年のクリスマスも、山あり、谷あり、カーブあり、でこぼこありの信仰の道を整えて、私たちの心に主が来てくださることを祈り求めていきたいと思います。