2018年12月2日     降臨節第1主日(C年)

 

司祭 セオドラ 池本則子

身を起こして頭を上げる

 教会では今日から新しい1年が始まる。イエス様のご降誕を迎える準備をする教会暦最初の降臨節。降臨節第1主日ではイエス様のご降誕よりも、イエス様の再臨を待つ姿勢についてイエス様が教えておられる。

 イエス様の再臨の前兆として、福音書では恐ろしい週末の出来事が記されている。ルカによる福音書の21章25節からは、『太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである』(25・26節)とのイエス様の言葉が記されている。他の福音書ではもっと具体的な恐ろしい数多くの描写もなされているが、もしこのようなことが起こったならどんなに大きな不安と恐れに陥るだろうか。しかし、これで、世界が滅びてしまうわけではないのである。イエス様は希望を語られる。『そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ』(27・28節)。イエス様再臨の出来事である。

 私たちは喜怒哀楽など様々な感情を抱く。もちろん心の中の感情だが、それらの感情は心の中で感じているだけではなく、顔の表情や体の動き・姿勢などにも現れる。不安や恐れ、悲しみや苦しみを抱えている時などは、表情はもちろん暗いが、前かがみで背中が丸くなり、下を向いている姿勢を取っていることが多いのではないだろうか。反対に、嬉しい時や楽しい時には、表情はもちろん明るいが、胸を張って背中も伸び、頭も上がっているのではないだろうか。そこには、希望と喜びが満ち溢れていると思う。悩みやつらいことがあった時、背中を丸めて頭を下に下げている姿勢から「頑張ろう」という前向きな気持になった時、自然と背中が伸び、頭も上がってくることを何度も経験している。

 イエス様は終末の恐ろしい徴が起こり始めたら、「身を起こして頭を上げなさい」と言われている。不安と恐れで終わるのではなく、その先にあるのはイエス様再臨という希望である。「解放の時」、それは救いの時である。イエス様がこの世に「神の国」を実現される時である。わたしたちの究極の希望はイエス様再臨の「神の国」実現の時である。しかし、それはいつ来るかはわからない。だから、いつ来てもいいように準備をして待っていなさい、とイエス様は忠告される。

 身を起こして頭を上げる時、その先に見えるものはイエス様の救い、希望ではないだろうか。もし背中を丸くして下を向いていたら、イエス様の姿は見えないのだろうと思う。イエス様が共にいてくださっていることに気づく時、身を起こして頭を上げることができ、たとえ不安や恐れの中にあったとしても希望を持って前に進んでいくことができるだろう。再臨の日まで希望を失うことなく、身を起こして頭を上げてイエス様の救いをこれからも待ち望んでいきたいと思う。