2018年10月14日     聖霊降臨後第21主日(B年)

 

司祭 アントニオ 出口 崇

あなたに欠けているものが一つある。【マルコ10:21】

 東日本大震災の時、着の身着のままで多くの物を持たずに避難した方々から、その時のお話を聞いたことがあります。真っ先に何を手にして逃げたか。お金をはじめとする生活に必要な財産、思い出の品々。
 印象的だったのは「位牌」を持ち出したという年配の方がたくさんおられたことです。命の次に守らなければならないものが位牌。最初に聞いたときは「なぜ?」と疑問に感じました。
 とっさに手にした位牌というものは、先祖代々の土地や家の象徴だったのだと思います。「自分ひとりで生きてきたわけではない」自分の人生は自分の先人たち、また周りの人たちに支えられて、周りの人たちとの関りの中で今まで生きてきた。という思いがあったのではないでしょうか。

 聖書に登場する金持ちの青年ですが、とても熱心に「永遠の命、神様との関わり」を求めていました。普段の生活も律法に、ここではモーセの十戒に忠実に従い、品行方正な生活をしていました。しかし、それだけでは不安で、イエス様に教えを請いにきたわけですが、イエス様はその青年に欠けているものをご存知でした。
 この世にあって、自分だけ綺麗に生きていくことなんて出来るはずがない、今まで忠実に教えに従って生きてきたと言うことは、自分の狭い社会の中だけ、もっと言えば、自己完結の行き方をしてきただけではないか。周りの人たちとの関わりを意識して生きていたら、人間の努力だけでは、十戒の教えに忠実に生きられるわけが無い。
 「自分が」清く生きると言うことを求める時に、「神に」より頼むという大切なことをないがしろにしていたのではないか。
 断罪では終わらない、イエス様の厳しい言葉には、青年に対する深い哀れ、慈しみがありました。