司祭 ダニエル 鈴木恵一
イエスさまは「エッファタ」「開け」と言われて「耳が聞こえず舌の回らない人」をいやされました。この「エッファタ」というのは イエスさまの話されていた、アラム語の発音がそのまま伝えられています。聖書では他にも「タリタ・クム」「少女よ、わたしはあなたに言う、起きなさい」と、そのアラム語の音が伝えられています。きっと、イエスさまの、言われた言葉そのものに大きな力を感じた人々が、その音やイエスさまの息づかいも伝えようとしたからこそ、2000年の時をへた私たちにも伝えられているのではないかと思います。
教会の皆さんとの聖書を読む会で、イエスさまのされたいやしの奇跡の話から、イエスさまの時代の病気やその治療についてまで、話が広がったことがあります。イエスさまの時代では、なにごとにも、神さまが中心にありました。この世界を造られたのは神さま、そして私たちをつくり、息を吹き入れられて、ここで生きているのも神さまのわざ、だから、病気になるのも 病気から回復するのも神さまのみ業とする社会の中で、イエスさまの時代の人々は生きていました。すべては神さまのみ手の中にとわたしたちも感じていますが、病気を治すのも神さまの業とわたしたちはいつも感じているだろうか、それはお医者さんの業、自分自身の健康の問題と考えているようにも思います。イエスさまの時代の人々は病気を治すことのできるのは、神さまご自身であって、病の回復は神さまからの贈り物のようなものと感じていたのではと思いました。だからこそ、病気をいやしてくださるイエスさまのもとには神さまからのお恵みがここにあるとたくさんの人々が集まったのではないでしょうか。
イエスさまは聞こえない耳に向かって「エッファタ」と呼びかけました。他の人々は「この人の耳はどうせ聞こえないのに」と思ったかもしれません。でも、イエスさまは、自分の語りかけが必ずこの人に届くという信頼と希望をもって語りかけられます。このイエスさまの信頼と希望がこの人に伝わり、この人は変えられていきました。
そして、イエスさまに癒されたこの人は喜びを多くの人々伝え始めます。うめきが賛美に変えられた喜びの出来事です。「エッファタ」「開け」というイエスさまからの強い呼びかけは、この聞こえない人だけに呼びかけられたものではありません。周囲にいる人々もそれを聞き、共に生きるものとしての関係が新たに始まる「開け」「エッファタ」です。
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