2018年7月15日     聖霊降臨後第8主日(B年)

 

司祭 テモテ 宮嶋 眞

「12人」【マルコ福音書6章7〜13節】

 イエス・キリストには12人の弟子がいたと聖書に書かれているのをご存知の方も多いと思いますが、この12人が誰なのか、スラスラと名前を答えられる人は牧師でも数少ないのではないかと思います。この12人の名前の一覧がいくつかの福音書の中に出てきます。しかし、それらを比較すると一部の人は名前が異なっています。また、一覧表に名前が出てくるものの、これといった働きやエピソードが聖書の中に記されていない弟子のほうが多数です。このマルコ福音書の箇所では、その弟子たちを表すのに「12人」としか言われていません。マタイ福音書では「12弟子」、「12使徒」などという呼び方もされているのですが。これらのことから、弟子の数が12というのは、12という数字そのものが重視されていると思われます。
 考えてみれば私たちの生活の中でも12という数字や12進法が意外に多く用いられています。ざっと思いつくままにあげてみますと、1年は12ヶ月、1日は12時間の2倍、1時間は12分の5倍、1分は12秒の5倍。1ダースは12個、1グロスは12ダース。1シリングは12ペンス。干支は12支。仏教の12縁起(因縁)、ギリシャ神話の12の神々。またピアノなどの鍵盤楽器では1オクターブに12の音が配されています。全方位を360度としてあるのも12進法のようです。そして「12人の怒れる男」などの映画で有名ですが、英米の陪審員は12人です。これはイエスの12弟子から来ているようです。
 この12という数字は、もともとはどこから来ているのでしょうか。その起源は月の満ち欠けではないかといわれています。月は一年間にほぼ12回の満ち欠けがあります。イスラエル12部族というのは、神礼拝を担当する部族を月ごとに割り当てたところから生まれたようです。イスラエル12部族は神への礼拝を一緒にささげる礼拝共同体だったのです。12弟子の12の根拠はこのイスラエル12部族にあり、彼らは神に仕える新たな神の民として選ばれたようです。