2018年7月8日     聖霊降臨後第7主日(B年)

 

司祭 バルトロマイ 三浦恒久

この人は大工ではないか【マルコによる福音書6:1〜6】

 イエスはどのような幼少年時代を過ごしたのでしょうか。数少ない記録を調べてみましょう。
 (1)イエスはユダヤのベツレヘムで誕生しました。そのイエスを拝みに来た東方の博士たちがイエス
    のことを、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と呼びました。これを聞いたヘロデは不安
    を抱き、イエスを殺そうとしました。そこでヘロデはベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男
    の子を皆殺しにしました。
    ところが天使が父ヨセフに夢の中で現われ、ヘロデがイエス殺そうとしていると告げ、からくも難
    を逃れることが出来ました。ヨセフはイエスとその母を連れてエジプトに逃避し、ヘロデが死ぬま
    でそこにいました。
    ヘロデの死後、アルケラオが父ヘロデの跡を継ぎ、ユダヤを支配しました。そこでヨセフ一行は
    ユダヤのベツレヘムに帰らず、ガリラヤのナザレで暮らしました。こうしてイエスは「ナザレの人」
    と呼ばれるようになりました。(マタイ2:1〜23)
 (2)皇帝アウグストゥスの勅令で住民登録のため、ヨセフは妊娠中のいいなずけマリアとガリラヤの
    町ナザレからユダヤのベツレヘムへ行きました。ところがマリアは月が満ちて男の子を産みまし
    た。宿屋には彼らの場所がなかったので、イエスは布にくるまれ飼い葉桶に寝かせられました。
    その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の番をしていました。すると、天使が現わ
    れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げました。羊飼
    いたちは早速、飼い葉桶のイエスを探し当て、礼拝しました。
    イエスが生まれて八日経ちました。ユダヤの伝統に従って、幼子イエスは割礼を受け、イエスと
    命名されました。(ルカ2:1〜21)
 (3)律法に従って、ヨセフとマリアはエルサレム神殿にお参りに行きました。そのとき、神殿に信仰の
    篤いシメオンという人がいました。彼はイエスを見るなり、この方こそメシアであると告白し、神を
    賛美しました。
    また、神殿にはアンナという女預言者がいて、昼も夜も神に仕えていました。彼女はイエスに近
    づき神を賛美し、救いを待ち望んでいる人々にイエスのことを宣べ伝えました。
    イエスとその両親は、律法で定められていることをみな終えたので、ガリラヤのナザレに帰りまし
    た。幼子イエスはたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていました。(ルカ2:22〜40)
 (4)イエスの両親は過越祭には毎年慣習にしたがって、エルサレムへ出かけていました。イエスが
    十二歳になったときも神殿にお参りしました。ところがある事件が起きました。帰路に就いたそ
    の一行にイエスの姿が見当たらないのです。両親は引き返しました。すると、イエスは神殿の境
    内で学者たちに混じって、話を聞いたり質問したりしていました。両親はイエスを見て驚き、母親
    が「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたので
    す」と言うと、イエスは次のように答えました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分
    の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」 両親にはイエスの言葉
    の意味が分かりませんでした。
    その後、イエスは両親に仕えて暮らしました。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛さ
    れました。(ルカ2:41〜52)

 これらの記録の中から浮かび上がってくることは、一方ではイエスは常に為政者からの迫害の恐れにさらされていたということ、もう一方ではイエスは神の子として数奇な人生を歩まなければならなかったということです。しかし、いずれにせよ、イエスはユダヤ教の伝統の中で神と人とに愛されて成長していったということは事実だと思います。

  イエスが伝道を開始されたのはおよそ三十歳のときでした。ガリラヤでの伝道の第一声は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」ということでした。イエスは神の国の到来を告げました。その具体的な証として、悪霊を追放し、多くの病人をいやしました。また、今までとは違う新しい価値観を人々に教えようとしました。
 ある安息日に、イエスが麦畑を通っていかれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み、食べ始めました。これを目撃したファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言いました。イエスは、「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか」と答えました。そして更に、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と言われました。
 おそらく、イエスのこの発言はファリサイ派の人々のみならず、ユダヤ教の伝統に忠実なイエスの身内にも衝撃を与えたのでしょう。身内の人たちが「あの男は気が変になっている」と言って、イエスを取り押さえに来たほどでした。

 また、イエスが自分の故郷ナザレに帰ったときのことです。その日は安息日だったので、イエスは会堂で説教をされました。人々は驚いて、「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行なわれるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と言いました。そこで、イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われました。

 「この人は、大工ではないか」 
 故郷の人々はイエスに対して予断と偏見を持っていました。予断と偏見は真実を見る目を曇らせてしまいます。到来した神の国を見えにくくさせてしまいます。悔い改めとは予断と偏見を捨てることです。予断と偏見を捨てることによって、新しい価値観がわたしたちの内に受肉するのです。