2018年5月27日     三位一体主日・聖霊降臨後第1主日(B年)

 

司祭 サムエル 小林宏治

「イエスとニコデモ」【ヨハネによる福音書3:1〜16】

 今日のお話は、「イエスとニコデモ」です。
 登場人物は、イエス様とニコデモです。ニコデモという人がイエス様のもとを訪ねて行きました。そして、イエス様とニコデモとの会話の中で、大切なものが示されていきます。
 ニコデモはユダヤ人たちの議員でした。ユダヤの中では知られていた人物です。その人は、ある夜にイエス様のもとを訪れました。昼間ではないところに彼の複雑な事情を見ることができます。
 イエス様はニコデモに次の言葉を言われました。

   「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

 とても印象的な言葉を言われました。この言葉は何を意味するのでしょうか。
 ニコデモはその言葉に対して、次のように言いました。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
 その言葉に、イエス様はお答えになりました。
 「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることができない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」
 ニコデモはイエス様の言われたことをうまく理解できませんでした。
 わたしたちは、イエス様の言葉をどう受け止めることができるでしょうか。わたしたちは、親から生まれてきます。おなかの中から生まれてきます。そして成長して行きます。この成長が一回目の生まれとするならば、イエス様は、もう一度、新たに生まれることがなければならないと言われます。それは、もう 一度母親のおなかの中に入るようなものではないということです。
 水と霊によって生まれなければならないと言われます。単純に言って、水と霊とは、洗礼のことを指すと思います。イエス様を信じる、また神様を信じることにより、新たに生まれるというのです。イエス様はわたしたちに、新たに生まれるように言われています。今までの生き方ではなく、改めて、神様との関係を見出すようにと言われています。そして、イエス様を通して示される、神様の恵みと愛を知るようにと言われているのです。
 わたしたちがいつも神様のことを身近に感じ、愛されていることを知るとき、わたしたちは、新たに生きるものとされます。神様がわたしたちに望まれることは、神様の愛を知り、神様の恵みをいつも感じて生きていくことです。これは1回限りの出来事でもないと思います。日々、新しくされ続けることだと思います。わたしたちは、御言葉により新たにされ続ける必要があるのかもしれません。神様の恵みにより、わたしたちも日々、新たにされ、神様に愛されるものとして歩みたいと思います。