2018年4月29日      復活節第5主日(B年)

 

司祭 ヨハネ 石塚秀司

「別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」【ヨハネによる福音書14:16−17】

 ハンナ・リデルさんは、英国聖公会宣教協会(CMS ,Church Missionary Society)の宣教師として35歳の時に来日し、1895年(明治28年)、熊本の地で初めての私設のハンセン病療養所「回春病院」を開設しました。その後、患者でクリスチャンであった青木恵哉(けいさい)さんを沖縄に派遣し、沖縄のハンセン病療養所「愛楽園」を設立することになります。
 そもそもリデルさんがハンセン病患者の救済活動に携わるようになったのは、桜が満開になった4月、当時英語を教えていた学生たちと一緒に本妙寺というお寺の桜を見に行ったのがきっかけでした。リデルさんは、満開の桜の木の下で、薄汚れた服を着た人たちがうずくまっているのを見たのです。その人たちは、手の指がなかったり鼻の形が変わったりとハンセン病という病気を患っている人たちでした。隠れるようにして、お金をくださいと言っている人たちもたくさんいました。お金のない病人たちは、家を捨て、家族とも別れ、物乞いをしないと生きる道がないと知ったリデルさんは、その夜、あの人たちのために、何ができるだろうかと考えました。ハンセン病の人たちのことを思うと心が痛みました。その頃、日本には5万人ものハンセン病患者がいたのですが、治療や安心して生活できる療養所はほとんどない状態でした。
 リデルさんは何日も真剣に祈りました。そして、その祈りの中で内なる声を聞いていきます。「あなたは、ハンセン病で苦しんでいる人たちのために尽くしなさい」と・・・。そのようにして心の目が開かれていくんです。リデルさんは思いました。「神様がハンセン病患者のために働きなさいと言われるから働こう。私の考えではなく、すべてイエス様を信じておまかせしよう」と。早速医師と看護師を雇って、お寺の近くに診療所をつくりました。しかし、本格的な病院や療養所を建てるためには膨大なお金がかかります。
 イギリスには祖父から相続した財産があったのですが、それを売って資金にしようとも考えました。迷いながら、考え、祈りました。友人にも相談をしました。しかし、誰も賛成してくれず皆から反対されたといいます。でも、リデルさんは必死に祈った・・・。「この弱い私に力を与えてください。日本の国のハンセン病の人たちのために働くことがイエス様のみ心でしたら働かせてください。必要なものはあなたが与えてくださると信じています。神様どうか力を与えてください」。神様が与えてくださる聖霊の力によって、くじけずに神様の尊い愛の仕事ができるようにと一生懸命祈ったのです。そして、リデルさんは、とうとうおじいさんからいただいた立派な家と、広い土地を売ることにしたのですが、親戚の人たちの反対に遭いました。しかし、リデルさんの心は変わることはなかった・・・。
 やがて、反対していた友人や教会の人たち、親戚の人たちは、リデルさんの熱心さに動かされ、病院をつくるためのお金を集めるために力をかしてくれるようになっていきます。またリデルさんの働きを助けるために「日々の糧」という会を作って、「私は患者一人の一日分の生活費を出します。」と約束をしてくれるようになっていったのです。
 こうして、ついにリデルさんは九州の熊本に、ハンセン病の人たちのための療養施設「回春病院」を建て、一生死ぬまで、日本のハンセン病の人たちのために働きました。リデルさんを、くじけることなく、尊い愛の仕事のために働くようにしてくれたのはイエス様であり、きょうの福音書で、信じるものに与えられると約束してくださっている真理の霊、聖霊の力によるものだと私は信じます。こうして、「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」(21節)というみ言葉が、リデルさんの信仰を通して現実のものとなっていったのではないでしょうか。