司祭 クレメント 大岡 創
「主イエスの洗礼」【マルコ1:7−10】
今日は顕現後第1主日、そして主イエス洗礼の日です。毎年この主日には同じ場面が選ばれていますが、この箇所を通してあることに気づきました。イエスさまが「水の中から上がるとすぐ」(マルコ1:10)と記されていますが、その「すぐに」という言葉です。聖書の中には「すぐに」という言葉が度々でてきます。四人の漁師たちが最初の弟子になったときも、主の呼びかけに対して「すぐに網を捨てて従い」(マルコ1:18)次の二人もすぐに舟と父親とを残してイエスに従ったのでした。諺に「善は急げ」があります。良いことをするのに、ためらうな。これは良い行いをするにあたっての知恵のようなものです。でも今日の福音書は良いものに直面してしまったから、すぐに従わざるを得ない・・そのようなものではないでしょうか。
イエスさまが洗礼を受けてすぐに水から上がられたことにも注目します。水に浸かることが「古い自分に死ぬ」ことを表しているとすれば、水から上がるとは、「古い自分を脱ぎ捨て新しく歩みだす」ことを表しています。わたしたちは困難に遭遇したとき、早くそこから抜け出たいと願います。同時に抜け出せないでいる自分の姿を思い知らされることもあります。しかし、生かされるというのは、そのような思いから、ただちに引き上げられることを意味しています。イエスさまは私たちに先立って、身をもって示してくださいました。すぐに水の中から上がっておいで、という招きでありました。
古い1年が過ぎ去り、新しい1年が始まります。敷かれたレールの上を忠実に走っていくことに留まらす、自分自身が新しく、造り出していく、決断していくという両輪があってこそ、力強さが与えられていくのではないでしょうか。
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