2017年12月31日      降誕後第1主日(B年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

「暗闇の中の小さな希望の光」【ヨハネ1:1−18】

 12月25日を過ぎますと、世間では「よいお年を」と言い、家の大掃除など新年を迎える準備をいたします。もうクリスマスのことなど忘れて、日々を過ごしておられる方もおられることでしょう。しかし、教会の暦では本日は降誕後第1主日です。ですから、クリスマスのシーズンはまだ終っていません。教会の暦では3人の博士が東の国から星に導かれてイエスさまを拝みにきた日、すなわち、異邦人に対する主の顕現を記念する日である顕現日である、来年1月6日までです。ですので、12月31日、降誕後第1主日の福音書の箇所は、降誕日の福音書の箇所やイブ礼拝の聖書日課にも選ばれている、ヨハネによる福音書第1章1節から18節の箇所が選ばれています。
 初めに言があった、とあります。この言とはまさにイエスさまのことです。もうすでに、父である神様によって、イエスさまがこの世に誕生させられる前からすでに、イエスさまは神様の横で、神様に最も近い立場で存在していました。その言であるイエスさまの中に命がありました。この命、イエスさまは人間を照らす光でした。光であるイエスさまは暗闇の中で輝いています。その暗闇とはどのようなものなのでしょうか。それは私たちの心、悲しみや弱さといった心です。また私たち人間が生きていくにはすべての人が幸せでなければならないのですが、そう出来ていない現実、差別、貧困といったものです。その中にイエスさまがこの世に光として誕生されたのでした。イエスさまを現す、この光は本当に小さい光です。その光を証しするために神様から遣わされた一人の人間、それがヨハネです。このヨハネはイエスさまの弟子のヨハネではなく、後にイエスさまに洗礼を施したヨハネ、洗礼者ヨハネです。このヨハネが暗闇の中の光である、イエスさまの降誕を証しし人々に伝えました。暗闇の世の中にあって、イエスさまは光としてこの世に父である神様から遣わされると人々に伝えました。ところが世の人々はかたくなで、信じようとしません。その信じようとしないかたくなな心こそ、まさに暗闇でした。暗闇では何も見えません。将来に何の希望も見いだすことができません。だからこそ、ヨハネはその暗闇の中の小さな希望として、父である神様がこの世に御子イエスさまをこの世に降誕させられることを伝えました。神様は人間がかたくなであること、心が暗闇であることを承知の上で、御子であるイエス様をこの世に送られました。
 クリスマスシーズンを迎えています。イエス様の降誕は暗闇の中の小さな希望の光でした。かたくなな心であるならば、全く見えないほどの小さな光でした。しかし、その光は今も決して消えることなく、希望の光として、ささやかではありますが輝いています。決して消えることはありません。それは神様のわたしたちこの世に生きる人間に対する熱い思い、神様からの愛です。私たちがどれほどにまで拒絶したとしても決して、消えることのない光です。消し去ることの出来ない愛です。その暗闇の中の小さな光、小さな希望である神様の愛によって私たちは生かされています。神様がわたしたち一人ひとりの心にイエスさまを宿らせてくださっています。この神様の愛に感謝したいと思います。そして、新しい年も神様から私たちに与えられた小さな光、小さな希望であるイエス様が私たちの心に宿っていることを心に留めて過ごしていくことができればと思います。