2017年8月27日      聖霊降臨後第12主日(A年)

 

執事 パウラ 麓 敦子

「あなたはメシア、生ける神の子です」【マタイによる福音書16:13〜20】

 「あなたはメシア、生ける神の子です」。イエス様はペトロのこの告白を受け容れ、ペトロを岩と称し、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われました。このイエス様の言葉は、ペトロという個人を土台として教会を建てるということではなく、イエス様を「メシア、生ける神の子」と告白したペトロの信仰を土台として教会を建てるという意味だと解されます。「メシア、生ける神の子」であるイエス様とは、凄腕の政治的指導者でも、勇ましい軍人でもなく、貧しく、人々に蔑まれ、犯罪人のレッテルを貼られて殺されて行く極めて惨めな存在でした。そして、このように到底メシアだとは受け容れ難いイエス様こそが、「メシア、生ける神の子」であることが、揺るぎない真実として示されたのが、イエス様の十字架上での死と復活の出来事に他なりません。わたしたちキリスト者の教会は、このようなイエス様を、「メシア、生ける神の子」と堅く信じる信仰を土台として建てられています。
 昨今、「アメリカ・ファースト」という言葉が話題になりました。これは、「勢いが衰えつつある自国を建て直すことを最優先にするから、他国に配慮している余裕はない」、というあり方を意味する言葉です。イエス様の時代を生きていたユダヤ教の律法学者をはじめとする人々も、アメリカ・ファーストと同様に、ローマ帝国の圧政に苦しめられる中で、自分たちユダヤ人こそが救われる民だと考え、ユダヤ教の掟を守ることができない人、病気の人、ユダヤ人ではない人等々、自分たちとは異質な人々を排除することで、自分たちの生活の安定を守り、繁栄を求めていました。このような当時のユダヤ社会に「ノー」を唱え続けたのがイエス様でした。
 わたしたちの教会はどうでしょうか。国籍、経済的状況、病気の有無等のあらゆる状況の違いを超えて、求めるすべての人がイエス様に繋がることのできる教会となっているでしょうか。今属している教会員の居心地の良さを守ることを最優先として、その他の人々が排除されるような教会になってはいないでしょうか。強さ、経済的な豊かさ、便利さ、快適さ、健康さ、見栄えの良さが優先される現代のこの世界の中にあって、キリスト者は、弱さ、貧しさ、不自由さ、惨めさを互いに担い合うことを、何よりも最優先にしなくてはならないと教えてくださった「メシア、生ける神の子」イエス・キリストへの信仰を土台として、教会を形成していかなくてはならないのだということを、今週の福音書は訴えかけているように感じます。