2017年7月30日      聖霊降臨後第8主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 荒木太一

忘れていた喜び

 「見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り」マタイ13:44

 宝を見つけた喜びは、全財産を売って畑ごと買うほど大きい、と譬えは語ります。この喜びに生かされている人の姿が私に訴えてきます。「お前の喜びはどこへいった? 金より仕事より、プライドより他人の評価より大きい、お前の喜びは?」

 私は初めて入った教会の礼拝で、天窓の光をぼーっと見ながら「これに自分の人生を捧げてもいいんだ」と思える喜びを知りました。皆さまにはどんな喜びでしょうか。地味で間接的で連続的な喜びのほうが多いでしょう。あなたの内であなたを支える喜びです。 

 その喜びは自分で獲得した成果ではありません。主が与えて下さったプレゼント、宝です。宝を見つけたら隠します。世の思い煩いで喜びを奪う悪魔から守り、心の中に大事にしまう。でないと喜びを失い、信仰生活が惰性と習慣になってしまう。そして大切に隠す間に、畑を買って自分の土地にします。つまり自分の全てをこの喜びのために使う決断をして、主を迎えます。

 全てを売って自分の畑とした後は、喜びから喜びへと宝を開いて味わい楽しむ人生です。イエスとの関係に生かされるなら、どんな煩いも苦しみも色褪せ、喜びだけが色濃くなるはず。それが本当の喜び、主イエスとの親しい関係です。神よ、どうかこの喜びを失いませんように。