2017年6月11日      三位一体主日・聖霊降臨後第1主日(A年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

「私たちと共にいてくださるイエスさま」【マタイ28:16−20】

 今日は、マタイ28:16−20の箇所を見てみましょう。11人の弟子たちは、首都エルサレムを離れ、ユダヤ北部のガリラヤにやってきました。彼らはどんな気持ちでガリラヤに向かったのでしょう。十字架に架かかった、イエスさまが復活されました。うれしい気持ちと、その一方で信じられないという疑いの気持ちを持っていたことでしょう。そんな思いを持ちながら、ガリラヤに行き、指示された山に登りました。到着すると、彼らはイエスさまに出会うことが出来ました。彼らは早速、イエスさまにひれ伏しました。彼らの中にはその一方で、ひれ伏しながら、イエスさまの復活を疑っている者もいたかもしれません。
 そんな弟子たちに対して、イエスさまはどのような態度を取ったでしょうか。イエスさまは弟子たちに対して、怒るのではなく、近寄ってこられました。そして、イエスさまは弟子たちに、イエスさまご自身が、父である神様から世界を救う力が与えられていること伝えます。だからこそ、イエスさまは弟子たちに、他のすべての民を弟子にし、父と子と聖霊の名によって洗礼へと導き、その人たちにこれまで教えてきたことを守るように伝えなさい、と言われます。最後に、イエスさまは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」、と弟子たちを励ましました。この言葉を最後に、このマタイによる福音書は終了します。
 マタイによる福音書の最後の言葉、「いつもあなたがたと共にいる」という言葉はイエスさまが天に昇られた後も、引き続き弟子たちと「共にいる」ことを伝えています。そして、弟子たちが伝道活動をしている時も、弟子たちが教会で礼拝する時も常に、人間の目には直接見えないが、イエスさまご自身はいつも弟子たちと共にいることを伝えています。このイエスさまが弟子たちを励ましたことによって、イエスさまのことを弟子たちが地中海地方沿岸の各都市にイエスさまの教えを伝える伝道活動を行い、各地に教会が設立されていきました。その時に迫害もあったことでしょう。しかし、それであっても弟子たちは神の子でありつつも神様であるイエスさまが共にいてくださることを信じて、イエスさまの教えを伝えていき、教会を設立していったのでした。
 そして時代は過ぎ、世界の各地に教会が出来、日本にも教会が誕生したのでした。どの教会にも神様の子でありつつ、神様であるイエスさまが共にいてくださいます。礼拝を行うことによって、また聖書のみ言葉を通して、私たち一人一人を励まし、私たちに近寄って、私たちにも「いつもあなたがたとともにいる」と言ってくださいます。私たちも本日の福音書に登場する弟子たちと同じように、時によってはイエスさまを礼拝しつつも、イエスさまの復活、イエスさまの存在を疑ってしまうこともあるかもしれません。しかし、そうであったとしてもイエスさまは礼拝を通して、聖書のみ言葉をとおして私たち一人一人を励まし、私たちに近寄って、私たちにも「いつもあなたがたとともにいる」と言ってくださっています。ですから、わたしたちはこの言葉を心に留めて、安心して、希望を持ってこれからの日々を過ごしていくことができればと思います。