2017年6月4日      聖霊降臨日(A年)

 

執事 プリスカ 中尾貢三子

教会の誕生日、あるいは弟子たちの自立記念日としての聖霊降臨日

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、(中略)一同は聖霊で満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した。」(使徒言行録2:1−2)

 復活日から40日間、イエスさまは折々に弟子たちに現れて、自分の伝えたかったこと、神様がいつも一緒にいてくださることをお伝えになりました。40日目に彼は助け主が来るということを改めて弟子たちに伝えて、天に昇って行かれました。
 冒頭で引用した出来事はその10日後、つまり50日目=五旬祭におこりました。聖霊が降って、「それぞれ他の国々の言葉で」イエスさまの生涯のことや復活の出来事を話し出したのです。
 彼が捕まって十字架につけられることになったとき、怖くなって逃げ出した弟子たちが、イエスさまのことを大胆に自分たちの言葉だけでなく、他の国の言葉でも話し始めたのです。この後に聖書に記されているペトロの説教を見ると、三度も知らないと言った人と同じ言葉とはとても思えないほど雄弁にイエスさまの出来事を旧約聖書から説き起こして説明しています。これは同一人物が短時間に成し遂げた変化としてはおどろくべきものと言えるのではないでしょうか。そのことについての“合理的”な説明が、「聖霊に満たされ」た結果起こった出来事だと聖書は伝えます。
 これは二つの意味で、弟子たちの「自立」が起こった日と言えるのではないでしょうか。
 新しい経験をした後、それに納得してその経験を自分の言葉で相手に伝えるためには、時間と手助けが必要です。この聖霊降臨の物語は、子どもたちがいろんな経験を経て言葉を獲得して、自分の出来事を人に伝えるようになっていく過程と重なるように思えてなりません。まずは自分の言葉の獲得という自立です。
 ついで、いろんな国の言葉で話し出したというのは、相手に伝わる表現で伝えるということと重なります。自分だけがわかる/納得できる表現ではなく、相手の文脈(コンテキストというべきか、相手の立場と言った方がいいかもしれません)に沿って、相手が理解できる表現で伝えることができるという自立です。
 イエスさまの出来事を、今度は自分たちが伝える側となるという自覚と自立の出来事が、この日、弟子たちに起こりました。「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」結果、彼らはイエスさまのことを伝えたいという熱意に満たされたのです。このとき、彼らの心は共にいてくださる神様の喜びに満たされていたことでしょう。これこそ、復活なさったイエスさまが「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言って彼らに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言われたこと(ヨハネ20:21−22)なのではないでしょうか。
 聖霊を受けた弟子たちが、イエスさまの出来事を雄弁に語り始めたおかげで、時間的には2000年以上後世の、地理的には地球を半周したところにいるわたしたちにまでキリスト教が伝わりました。そのため、この聖霊降臨日(聖霊が降った日)を教会が成立した日と言われることもあります。