司祭 バルトロマイ 三浦恒久
ドン・マイ(心配するな)【ヨハネによる福音書第14章1〜14節】
別れはつらいものです。イエスの死は近づいていました。イエスは弟子たちと最後の食事をして絆を深め、記念の時としてくださいました。思い出は生きるエネルギーになります。最後の食事は、イエスからの弟子たちへの大いなる遺産となりました。
別れはつらいものです。イエスの死は近づいていました。イエスは最後の食事の後で、別れの説教をされました。イエスは万感の思いを込めて、話し始められました。
「心を騒がせるな。神を信じなさい」(ヨハネ14:1)
言葉は生きる支えになります。この言葉は、イエスからの弟子たちへの大いなる遺産となりました。
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わたしの実家の裏山に義経寺という源義経にまつわる寺がありまが、この寺の境内で本当によく遊びました。特に、ソフトボールは大好きでした。仲間と一緒に、学校が休みの日は連れ立ってソフトボールに興じました。
寺の本堂の屋根にボールが飛ぶとホームラン、エラーしてボールが沢の下に落ちれば、エラーした子が探しに行くといったルールを自分たちで作っては楽しく遊んでいました。
また、ヒットやホームランよりは三振やエラーのほうが多く、そのたびに、敵味方入り乱れて「ドン・マイ、ドン・マイ」という声を掛け合いました。
「ドン・マイ」とは「気にするな、心配するな」という意味の言葉です。三振しても、エラーしても「ドン・マイ」と声を掛け合った仲間たち。あの頃が本当に懐かしく思い出されます。
「ドン・マイ」、敵味方入り乱れて掛け合ったこの言葉は、その後のわたしの人生にとって、大きな励ましと力になりました。三振とエラーばかりのわたしの人生でありましたが、「ドン・マイ、気にするな」という声によってわたしは支えられて来ました。
そして、わたしはイエスに出会い、牧師の道を歩み、今日に至っています。
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わたしはイエスと出会って本当によかったと思っています。それはイエスご自身が、わたしがどんなに失敗しても、「ドン・マイ、気にするな」と言ってくださるお方だからです。
たとえば、イエスの復活のお話がそうです。
弟子たちは取り返しのつかない失敗をしました。イエスを裏切ったのです。イエスは十字架にはりつけにされ、亡くなりました。弟子たちの心は苦しさでいっぱいでした。心の戸に鍵をかけ、人目を忍んで、ある家の二階座敷に隠れていました。その弟子たちのところに、復活されたイエスが来られ、「あなたがたに平和があるように」と言われました。そう言って、手とわき腹をお見せになりました。弟子たちは復活されたイエスを見て、ホッとしました。
「あなたがたに平和があるように」
イエスは弟子たちに、自分を裏切った弟子たちに、「ドン・マイ、気にするな」と言われたのだとわたしには思えるのです。そして、弟子たちはその言葉にホッとしたのだとわたしは思うのです。そう思うとわたしの心はうれしさでいっぱいになるのです。
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また、イエスの別れの説教もそうです。後に残す弟子たちを心配して、「心を騒がせるな。神を信じなさい」とイエスは言われるのです。この言葉に、わたしは何度、励まされたことでしょう。
わたしの人生はホームランやヒットよりも三振やエラーのほうが多い人生でした。そして、これからの人生もそうだと思います。でも、「ドン・マイ、気にするな」と言ってくださるお方がおられることを忘れずに、いつも感謝して生きていきたいと思います。
「心を騒がせるな。神を信じなさい」
「ドン・マイ、気にするな。大丈夫、わたしがここにいるよ」