司祭 アンナ 三木メイ
「心と耳を開いて、いつも聖霊の導きを求める」
【使徒言行録6:1−9、7;2a、51−60】
使徒言行録には、主イエスが十字架上で殺された後、弟子たちによって作られた信仰共同体が、深刻な問題を抱えていたことを伺わせる出来事が記されています。初期の弟子と信徒たちは、おそらくユダヤ教徒としてのアイデンティティーを持って信仰生活をおくり、キリスト教という新しい教団を設立したという意識はまだ芽生えていなかったでしょう。
この共同体のなかで、ギリシャ語を話すユダヤ人たちから、ヘブライ語を話すユダヤ人たちに対して苦情が出る、というトラブルがおきます。当時は、エルサレム以外で生まれ育ったユダヤ人たちは、ローマ帝国支配下での共通言語のギリシャ語を使っていました。一方、ヘブライ語を話すユダヤ人は、エルサレムにずっと住んでいた人々です。トラブルの原因は、日々の食料の分配のことで、ギリシャ語を話す側の人々が軽んじられている、ということでした。
この一つの信仰共同体の中で、二つのグループが対立関係にあったことが伺われます。それで、この共同体の指導者であった12弟子たちは、皆を集めて役割分担することを提案し、自分たちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにし、食事の世話は霊と知恵に満ちた評判のいい人を7人選んで任せることにしました。そして、ギリシャ語を話す人たちの中からステファノやフィリポを含む人々が選ばれました。
しかし、この後の記事は、食事の世話をする任務についたはずのステファノが恵みと力に満ちて不思議なわざやしるしを行ったり、説教をしたことが記されています。先の12弟子の提案とは矛盾しています。その後ステファノは、彼の説教の言葉に怒ったユダヤ教徒たちによって殺され、最初の殉教者となってしまうのです。それは、主イエス・キリストの十字架上での死を彷佛とさせるものがあります。
使徒言行録には明確には書かれていませんが、この二つのグループの間には、実はもっと深刻な分裂があったと思われます。それは、ステファノたちが、ユダヤ教において最も重要とされていた律法と神殿に対して批判的な考えをもっていたからです。ステファノは説教のなかで、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたはいつも聖霊にさからっています」と語り、ユダヤ教の律法主義に対する批判をこめています。この後大迫害が起きて、ギリシャ語を話すユダヤ人たちはエルサレムを離れますが、それが結果的に異邦人にキリスト教が広がっていく大きなきっかけとなっていきます。
キリスト教会の分裂は、長い歴史の中でさまざまなかたちで繰り返されてきました。16世紀の宗教改革は、カトリック教会が本来あるべき姿を失い、罪の赦しが得られるからと贖宥状を販売したことに対して、マルティン・ルターが問題提起したことから始まりました。そして、この宗教改革から多くのプロテスタント諸教派が誕生することになりました。
歴史を振り返ってみると、奴隷制や女性差別の問題などに対しても、教会が神さまの御心にかなう道を見いだすにはかなり長い年月を必要としました。そして、その間に差別を受けることを余儀なくされた多くの人々が苦しみ続け、その状況に抗議した多くの人々が犠牲になってきたのです。
私たちは、時代の流れの中から問われている事柄に対して、これまでの伝統や慣習に固執してかたくなに心と耳を閉ざすのではなく、神の御旨にかなう者としてどのように歩んでいくべきか、いつも聖霊の導きを求める者でありたいと思います。