2017年1月8日      顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(A年)

 

司祭 マタイ 出口 創

「ご一緒」の在り方

神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神がご一緒だったからです。【使徒言行録10:38】

 中学の3学期、体育の時間はいつも持久走でした。毎回学校の外周を何周か走って、タイムを計りそれで終わり。全校で一二を争う鈍足の私には苦痛でした。

 ある時、既にゴールして体力を回復させた同級生が、周回遅れを走る私の元に走り寄って来て、「頑張れ、もう少しだ」と大声を出しながら伴走してくれたのです。しかも私のペースを上げようとしながら走るだけの余裕がある。後で体育の先生から「誰かが一緒に走ってくれると励みになるだろ」とのお言葉。声すら出せない私は黙っているしかなかったのですが、本当は、力の差をまざまざと見せつけられた上、監視されているようで嫌でした。ただ少なくとも世の中には、それを励まし励みに思う「ご一緒」の在り方がある事だけは知りました。

 イエス様は常に神さまとご一緒です。それは物理的や心情的な「ご一緒」ではなく、「聖霊と力」によって「ご一緒」だと言うのです。理解もできず、実体験から想像することも困難だと思います。でも、そのような「ご一緒」も在り、そこに私たちも招かれているのです。