2016年12月4日      降臨節第2主日(A年)

 

司祭 セシリア 大岡左代子

大切なお客さまをお迎えする

 わたしは、降臨節に入ると必ず思い出すことがあります。それは保育を学んでいた学生時代のこと。キリスト教教育の授業で、「アドベントは心のお掃除をする時です。大切なお客様を迎える時に家を掃除するように、イエスさまをお迎えするために心の中を掃除してイエスさまをお迎えする場所を作るのです。」と言われたことです。以来、アドベントが近づくと身の引き締まる思いがし、ちゃんとお客様を迎えるように心の部屋を整えることができるのだろうかという畏れの気持ちと、一方で少しそわそわドキドキした気持ちでクリスマスを待つようになりました。
 子どもたちが幼稚園の聖劇で必ずと言っていいほど歌う歌があります。それはかみさまからのおやくそく≠ニいう子どもの賛美歌です。♪むかしユダヤの人々は かみさまからのおやくそく 尊い方のおうまれを うれしく待っておりました〜、と歌いだします。
 これはイエスの誕生より約700年前のイザヤの時代からの人々の思いを歌っています。この人々の気持ちは、預言者が言うようにいつ救い主が現れるのか、どこに現れるのか、とそわそわドキドキしながら、一方でその時にはどんなことが起きるのか、と身の引き締まる思いだったのではないか?そんなことを想像します。
 その救い主は、「弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち 唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし 真実をその身に帯びる」と預言された人でした。もしも、強い人のために不当な裁きを行い、金持ちを弁護する、そんな不正義と不法の救い主であったら、誰が何百年も待ち続けたでしょうか?誰が、うれしく待っていたでしょうか?救い主は誰のためにお生まれになるのか?それが明確であったから、ユダヤの人々は何百年も待ち続けることができたのです。
 洗礼者ヨハネがユダヤの荒れ野に現れて「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言いました。このヨハネの声は「主の道を整え、その道筋をまっすぐにする」使命を託された人の叫びでした。ヨハネ自身も、正義と真実の救い主を待っていた一人でした。「悔い改めよ」「主の道を整えよ」「道筋をまっすぐにせよ」これらはすべて、イエスの再臨を待っている今のわたしたちにも呼びかけられている言葉であり、大切なお客様をわたしたちのうちにお迎えするお掃除の勧めです。さあ、わたしたちはどこをどのようにお掃除しましょうか?