執事 プリスカ 中尾貢三子
街中では、ハロウィンのオレンジと黒の飾りから一気にクリスマスの緑と赤、金と銀の飾りへと変わりました。11月も中旬になると、クリスマスばかりでなく年末年始に向けてのあれこれを目にすることが多くなります。
教会の暦は、降臨節第一主日から新しい年に切り替わります。今年は11月27日、教会暦の上では「年末」まであと2週間を残すのみとなりました。「年末」押し詰まった時期にあたることを踏まえて読んでみたいと思います。
イエスさまがガリラヤを出発して、すでにエルサレムに到着していました。(ルカ19:41以下)。目の前には、ヘロデ大王が始めた大規模な工事によって修理拡張され、周囲に回廊を巡らせた広い境内と白い大理石の美しい本殿をもつ立派な神殿がそびえています。神殿のみごとなことを口々に話していたのは、この直前、やもめの献金の箇所で多くのお金を献金して神殿を支えていた人々でしょうか。あるいはガリラヤという「田舎」から都へ出てきて、その壮麗さに心を奪われた素朴な弟子たちでしょうか。その人びとに向かってイエスはこう言われます「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日がくる。」
人々は驚いたことでしょう。「それはいつ、どのようなしるし(前兆)があるのですか。」
目の前の壮麗な神殿が石一つ残さず崩されるようなとんでもないことが起こると言われる方に、それはいつ起こるのですか、どんな前兆があるのですか、と聞きたくなる気持ちはわかります。その問いに対して、イエスさまは正面からお答えにはなりません。
大きな災害や戦争、暴動が起こり、地震や疫病、恐ろしい現象など、目に見える様々なしるしが起こる時、イエスさまの名や神の子を騙る者が大勢現れるが従っていってはならないと言われるのです。様々な不条理、信じられない悲劇、戦争や災害の悲惨、そういったものが頻発するとき、人々は「わかりやすい」ものを求めます。黒白はっきりさせる物言い、敵や倒すべき何かを名指ししてそれを糾弾することで苦しみが楽になるというような扇動、根も葉もない言葉が一気に広まったりします。そういう不安定な時代に、イエスさまは「わかりやすさ」を拒否されます。そのような「わかりやすさ」を拒否することが自分自身の身やいのちを脅かすことがあったとしても、恐れてはならない、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」とまで言われるのです。とはいえ、わたしたちの髪の毛一本も決してなくなることはない、忍耐によってあなたがたは命をかち取りなさい」と。
世の終わり、時の終わりが迫っているとしか思えない時、手軽なわかりやすさに飛びつくのではなく、踏みとどまること。不安定さ、説明のつかなさに踏みとどまり、自分の命を守る(自己保身)のではなく、神様のいのちの息吹の訪れを待ち望むこと。
今の世界全体のなんとも言えない空気感の中で、もう一度、イエスさまのこの言葉と呼びかけを受け止めなおしたいと思います。