司祭 ミカエル 藤原健久
行いの中に。【ルカ10:25−37】
ある律法の専門家が尋ねます。「永遠の命とは?」「隣人とは?」立派な聖書の問答です。けれども彼の心の中は「イエスを試そうとして」「自分を正当化しようとして」という思いでした。なぜ聖書の話をするのに意地悪な思いでするのでしょう。イエス様は「善いサマリア人のたとえ」を話されます。傷ついた人を前にして、即座に行動を起こす人の話です。するとこの人も、すぐに聖書の話を理解することが出来ました。イエス様は言われます。「行ってあなたも同じようにしなさい。」聖書の話は、頭の中で考えているだけでは理解しにくいようです。行動に起こしたときに、すっと理解できることもあるようです。
私達は日々忙しく行動しています。どんどん忙しくなるようです。辛いことも多くあります。けれども、私達が聖書のみ言葉を胸に抱いて行動するときには、その行いを通して神様の思いに近づくこともあるようです。
イエス様は十字架に掛かられるとき、殆ど何も語られませんでした。十字架という行動を、最大のみ言葉にされたのです。私達の行いの中には、イエス様の十字架が含まれているのではないでしょうか。一つ一つの行いを大切にして、日々を過ごしたいと思います。