執事 アントニオ 出口 崇
『この家に平和があるように』【ルカ10:5】
今日の福音書では、自分の持ち物は何も持たずに福音を宣べ伝えなさい。とあります。私たち一人ひとりの存在こそが福音なので、それを受け入れる人を収穫しなさい。そうでない人、まだ刈り入れる実の無いところからは、さっさと引き上げなさい。といういたってシンプルな教えではありますが、守るべきもの、手放すことがなかなか出来ない様々なものを抱えている私たち一人ひとりにとっては、やはり難しい教えでもあります。
と同時に、今日のイエス様の教えは、私たちに収穫者としての立場、心構えを伝えているだけでなく、逆の立場のことも示唆しています。
私たち一人ひとりの元に訪れる収穫者、何も持たずに「平和があるように」といって目の前に現れる人に対して、受け入れているか。平和の子が私たちのうちに居てくださっているか。という視点から改めて私自身の生活を省みると、それもまた難しい。出来ています。とはとても言えない自分がいます。
今日書かれてあることがキリスト教の教え、クリスチャンの心構えのすべてならば、私だけではなく、誰一人平和な状態ではないのではないでしょうか。
ただ、今日の弟子たちも今後イエス様に躓き、裏切り、平和ではない状態になって行きます。しかし、それにもかかわらず、復活のイエス様が私たちの元に来られ、「あなた方に平和があるように」と祝福してくださる、手を差し伸べてくださる。このことがキリスト教の唯一の奇跡、福音なのではないでしょうか。
イエス様の教えに従えないわたしたち一人ひとりに、平和の子であるイエス様が共にいてくださっている。その奇跡、お恵みがあるからこそ、私たちの存在自体が神様の「福音」である。このことを心に留めて歩んで生きたいと思います。