2016年6月19日      聖霊降臨後第5主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 荒木太一

神の油注がれた王さま【ルカ9.20】

 キリストとは「油注がれた王さま」という意味です。ダビデなどイスラエルの王は、頭にオリーブ油が注がれて王に即位しました。注がれる油を通して神の霊が注がれて、神の使命のために聖別されたのです。今でも英国王の即位には、油が注がれます。

 王や支配者と聞くとつい「公金を使い込むせこい知事か」と連想するのが人の世ですが、聖書では神こそが完全に善い統治者です。そして善い王さまに統治され、守られ、自由が保証された者が本当の意味での「キリスト者、油注がれた王に統治される者」です。祈祷書は毎朝祈ります。「完全な自由は主に仕えること。」それこそ王なる神の御心です。

 しかし「イエスこそ王さま」と告白する人は躓きを避けられません。この王さまは力で圧倒して人を支配しません。それどころか無力に逮捕されて連行され、人々の罪を肩代わりするかの様に無実なのに有罪として裁かれ、「ユダヤ人の王」と馬鹿にされて十字架刑で殺されます。「王です」と告白したペトロは三度も関係を否定します。そうして人間の期待が裏切られた後、さらに人間の生き方が根底から覆されます。復活し、今も、生きている、と。

 復活と昇天こそイエスさまの即位式です。悪と罪と死の力を踏みつけ、私たちを善く統治して真の自由を与える王が天におられます。