2016年5月1日      復活節第6主日(C年)

 

司祭 サムエル 奥 晋一郎

「イエスさまから与えられている平和」【ヨハネ 14・23−29】

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:26−27)

 復活節第6主日の福音書の箇所はヨハネによる福音書第14章23節から29節までの箇所で、イエスさまが弟子たちとお別れをする前に、イエスさまが弟子たちにお話をしている箇所です。この箇所の中から、今日は上記に記載している26節と27節の箇所を見てみましょう。
 まず、26節に登場する「弁護者」という言葉に注目します。「弁護者」という言葉は元来、「誰かを助けるために呼び出された人」、「助ける人」を意味しています。従って、この箇所では神様とイエスさまの教えを伝えることを助ける存在として、聖霊が存在することを伝えています。この聖霊を通して、イエスさまは自らが十字架にかかり、復活し、天に昇った後に、弟子たちに話したことを弟子たちが思い起こすことができると言われます。さらに、27節において、イエスさまは弟子たちに「平和」を残し、平和を与えます。この平和はこの世の人が与えることのできる単なる満足や、争いのない状態、戦争のない状態以上のものです。神さまが与える「平和」は、それ以上の完全な幸福感、完全な心、安心できる心の状態を示します。
 このイエスさまから与えられる平和が聖霊によって弟子たちに与えられます。また、弟子たちと同様に私たちにも与えられています。このイエスさまが聖霊という助け手によって、わたしたちに与えてくださっている「平和」を覚え、感謝するために私たちは日曜日に教会に集い、聖書のみ言葉を聞き、聖歌を歌って礼拝をおささげし、「主の平和」と平和の挨拶をしています。その一方で、イエスさまが与えてくださっている平和を、戦争や争いごと、差別、また原発事故などの環境破壊、そして一人ひとりの思いと言葉と行いによってもたらされる罪などで壊してしまおうとしている現実にも目を向け、懺悔することも大切だと思います。そして、イエスさまが与えてくださっている平和、全ての人が安心して過ごせる世界を大切にするために、これからも日曜日に教会に集い共に祈り、それぞれ置かれている場所においてささやかであっても行動していくことがでればと思います。