司祭 アンナ 三木メイ
「新たな信仰の命」【使徒言行録10:34〜43,ルカ福音書24:1〜10】
イースターおめでとうございます。桜が咲き始める頃に復活日を迎え、春の訪れを感じながらキリストの復活をお祝いすることができるのは嬉しいことです。新しい命が与えられる、ということは、私たちにとって大きな希望です。イースターは、主イエスをキリストと信じる信仰の命、新しい霊の命を神から与えられたことに感謝し、その喜びを分かち合う日でもあります。それは自然の命のように目に見えるものではありませんし、毎年花が咲くわけでもありません。しかし、苦しみや悲しみを経験する時に、神様が共にいてくださる、主イエスが共にいてくださると信じることができる信仰は、私たちにいつも生きる力を与えてくれる神様からの祝福に満ちた賜物です。
キリストの復活を最初に信じたのは、女性の弟子たちでした。十字架上でのイエスの悲惨な苦しみと死を、彼女たちは遠くからじっと見つめていました。イエスが死してなお、彼女たちにはまだすべては終わりではなく、なすべきことがありました。イエスを心から愛し敬っていたからこそ、誰から命令されたわけでもなく、死を悼む想いが彼女たちを朝早く墓へと向かわせました。そこで、彼女たちは遺体がないことを知り、復活の告知を受け、イエスの言葉を思い出し、他の弟子たちに知らせました。それを聞いてペトロは立ち上がって墓へ走って行きました。
これが復活信仰の始まりであり、キリスト教信仰と福音宣教の始まりです。
このストーリーは信仰的真実として大切に語り継がれてきました。歴史的事実としては何が起こったのかは、わかりません。ただ、明確な事実は、かつて「イエスなど知らない」と言って逃げたペトロや弟子たちが、力強く「イエスは、死者のなかから復活された」と、福音を宣べ伝え始めたということです。その復活信仰が、キリスト教会の誕生に繋がっていきました。
使徒言行録10章に、ペトロの説教が記されています。この説教は、ローマ人の百人隊長コルネリウスの家で語られています。「神は人を分け隔てなさらないことがよく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」それまでは、神の救いはユダヤ人だけに約束されていると信じられていたのですが、神を畏れるすべての人が神の救いに入れられる、と語ります。そして、ペトロが話し続けている時に、御言葉を聞いていた人々の上に聖霊がくだった、と使徒言行録は伝えています。こうして、かつてイエスを裏切った弟子たちによって、キリストの福音が、新しい命をもたらす種として人々の心に蒔かれていきました。そして、多くの人々が聖霊によって新しい信仰の命を受けることになっていきます。
「まだ、ガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」
これは復活の告知の言葉の一部です。共に集い、聖書を読み、御言葉に想いを巡らし、感謝と賛美をささげる教会の礼拝は、この「ガリラヤ」への道を歩んでいくことなのではないでしょうか。新たな信仰の命をいただいたことを共に喜び、主に従う道、ガリラヤへの道を共に歩んでいきましょう。