2016年3月20日      復活前主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 黒田 裕

わたしを思い出してください【ルカ23:1〜49】

 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)。磔刑の苦悶を思うと、これのどこが「楽園」なのか。地獄以外の何ものでもないのではないでしょうか―。

 それにしてもイエスさまの両脇の二人の罪人はとても対照的です(39、44節)。一言でいえば傲慢さと謙虚さといえるでしょうか。と言っても、人間は二つに大別しうると言いたいのではありません。どちらかへと至る可能性をわたしたち一人一人が持っているのではないでしょうか。とすると、冒頭の、なぜ楽園なのか、地獄以外の何ものでもないのに、という考えの延長線上には、イエスさまを嘲る方の罪人の「自分と我々を救ってみろ」があるのではないでしょうか。それは目に見える人間の力しか信じない不遜な態度ということになります。

 しかし、一方の罪人は「イエスよ、あなたのみ国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)と言いました。わたしを思い出してください―。そう言った時点で実は、この人はイエスさまと共にあることとなったのではないでしょうか。つまり地獄のような苦痛の中であれイエスさまが共におられる(インマヌエル)ということを受け入れるとき、ひとは楽園にいる、と言えるのではないか。それはまた、この地上での死が最後的な終わりではないことが明らかにされたということでもあります。十字架上で息を引き取られるとき、イエスさまが「わたしの霊を御手にゆだねます」(46節)と言い得たのはそのためです。死は彼にとって終わりではありませんでした。

 「み国においでになる時に、イエスよ、わたしを思い出してください」。神の国に入れてくれ、ではなくて、思い出してほしい―。なんとも心に染み入る言葉ではないでしょうか。わたし(たち)はどうしても言い訳が先に立ってしまいます。他人のせいにしたくなるのが、わたしたちの常です。しかし、当然の報いではないかと言う、その神さまへの素直さ、真っ直ぐさ。そして、「思い出してほしい」、という謙遜。そこにわたしたちは胸を打たれるのではないでしょうか。もちろん、なかなかその通りに、わたしたちにはいかないかもしれません。しかし、その姿勢つまり信仰はわたしたちの心に留めておきたいのです。

 この一人の罪人、この男の姿に、わたしたちはキリストに向かう姿勢を学びたいと思います。そして、そのことをもって、イースターへのわたしたちの姿勢を整えたいと思います。