司祭 ヨハネ 井田 泉
イエスの洗礼
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(ルカ3:21‐22)
イエスさまは30歳のとき、人々の前に現れ、活動を開始されました。その活動を始める前に二つの大切なことがあります。ひとつは、ヨルダン川で洗礼を受けられたこと。もうひとつは、荒野でサタンの誘惑を受けて苦しまれた末、それに打ち勝たれたことです。この二つがあってこそ、イエスさまの働きが可能となったのでした。
今日の箇所は、イエスさまの洗礼の場面です。
読んで気づくことは、イエスさまが民衆と一緒におられることです。
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて……」
民衆、普通の人々の中にイエスはおられます。イエスが洗礼を受けた後、祈っておられるのを人々は見ています。
祈っておられると、天が開けた。天は普通は人には見えない世界。神さまの世界です。わたしたちは地上の世界しか見ることができません。地上のことを見、地上でうれしいことと苦しいことを経験します。時には窒息するような状態に追い込まれます。イエスさまのまわりに集まった人たちもそうだったのではないでしょうか。
けれどもイエスが祈っておられたとき、イエスの前に天が開けた。天から光が射してきます。地上の、この世界の、自分と周りの世界だけを見ていたのが、天が開いたのでそちらに引きつけられます。
すると「聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た。」
人々にははっきりと見たのです。神さまの不思議な光が、不思議な力が、いや神さまご自身と言った方がいいのか。神さまの光と愛と命が、開かれた天から降って来た。それをありありと人々は見たのです。見えるはずのないものを見て、イエスの上に降って来たその強く深くあたたかいものを、人々は一緒に感じて経験しました。
「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
今度は、聞こえるはずのない声をはっきりと聞きます。神の声です。柔らかくしかしはっきりと降り注ぐかのような神さまの声。イエスがそれを聞かれたとき、人々もそれを聞きました。
イエスさまが洗礼を受けられたときに起こったこと。イエスがそのときに経験されたこと。人々がその場で一緒に経験したことを、わたしたちも経験したい。
祈るしかありません。
わたしたちのためにも天を開いてください。地上の現実の中にしばしば閉ざされてしまうわたしたちのために天を開いて、天の光を浴びさせてください。
聖霊がわたしたちの上にも降ってください。強く深くあたたかい神の力がわたしたちにも降ってきますように。
そして神さまの声を聞かせてください。
イエスさまに呼びかけられた神さまの声は、わたしたちに対する呼びかけでもあるのです。
「あなたはわたしの愛する子」