2015年12月20日      降臨節第4主日(C年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

小さな声。【ルカ1:39−45】

 忙しい、忙しい、って…。何がそんなに忙しいのでしょう。小さな子どもが、私を見上げながら「先生!」と言ってくれる。この小さな声よりも大事なものがあるのでしょうか。この小さな子どもと遊ぶことよりも大事な用事があるのでしょうか。私は今まで、さして重要でないことをまるで一大事のように担ぎ上げて、何より大切な小さな声を幾つも通り過ごして、バタバタと歩んで来たように思います。
 大切なことは、小さな声の中に語られているのでしょう。ガブリエルのお告げは、マリアの耳元でそっと語られたもののように思います。マリアとエリサベトとの語らいは、家の外に漏らさぬように小声で話していたように思います。
 自信たっぷりに語る権力者の演説が力あるもののように見られ、憎悪に満ちた者のがなり声が暴力を振るうように恐れられても、その中に神様の愛はありません。神様の愛は小さな声の中に語られます。そして多くの人がその声を聞き逃してしまいます。
 ゴルゴタの丘の十字架で語られた、消え入りそうな言葉に耳を傾ける人はほとんど居ませんでした。その中にこそ、救いの言葉があったのです。神様は天使を通して、子供たちを通して、小さな声で語りかけてくださいます。