司祭 ヨハネ 荒木太一
恐ろしさのあまり気を失うだろう【ルカ21.25−31】
楽しいクリスマスを教会は楽しくないイメージで待ちます。星も月も狂い、地上の人々は不安と恐怖に気を失う、と。なぜもっと「感動的で楽しい」そう、USJみたいな待ち方ができないのでしょうか。
それは、、、人間の真実が恐ろしいからだ、と主は教えます。11月13日のパリの出来事です。
あの混雑した劇場で、酒場で、競技場で、どれだけ恐ろしかったか。どれだけ死にたくなかったか。どれだけ「人を助けるんだ」と行動したか。そして今、家族はどれだけ悲しんでいるか、、、。まさに気を失う恐ろしさがパリを襲いました。そして報道を通して、テロリストは世界中の人々にも恐怖を投げつけました。しかも「神は偉大」と叫びつつです。この湧き出てくる復讐と憎しみの、一体どこに、神は存在して、どう働かれたのか。疑ってしまいます。悪夢であってほしい現実です。
この芸術の都、パリで学んだゴッホは、精神病院の眠れぬ窓から「星月夜」を描きました。http://www.moma.org/collection/works/79802 その光はまるで、夜明けの寸前に不気味に輝く狂気と恐怖にも見えます。糸杉もまた、墓地の樹木として死を悼むようです。しかし、この悪夢のど真ん中に存在しているのが教会である、教会の指し示す神です。
恐ろしい悪夢のど真ん中に神は来る。だから「さあ、頭を上げろ」と、これから死の運命に走っていく主イエスさまは訴えます。恐怖の時にこそ「あなた方の解放の時が近いからだ」と。それがクリスマスです。