司祭 バルトロマイ 三浦恒久
十字架は借金返済の方程式【マルコによる福音書8:27〜38】
人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている(マルコ8:31)
数学の苦手なわたしにとって、
−1+X=0
X=1
という簡単な方程式を機械的には解くことができますが、論理的に理解することはなかなか困難です。
もしも、
1−X=0
X=1
という方程式であれば、容易に理解できます。最初に1個のリンゴがあって、そのリンゴを食べてしまえば、もうそこにはリンゴはありませから・・・。ところが最初に−1個のリンゴがあって、そこにもう一つのリンゴを持ってくると、もうそこにはリンゴがなくなってしまうということは、一体どういうことなのでしょうか。そもそもわたしにとって、−1個のリンゴという概念を組み立てることが難しいのです。
ですから、ちょっと視点を変えて、リンゴではなくお金で考えてみましょう。最初1円持っていて、1円で飴玉を買えばお金はなくなります。これは至極当然なことで、よく分かります。では、最初−1円持っていて、あとで1円プラスすれば0円になるとはどういうことでしょうか。−1円とは借金のことで、1円プラスするとは借金を返済することだと考えれば、つじつまが合います。つまり、これは借金返済の方程式だということが言えます。
イエスは弟子たちに、
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている。」
と言われました。イエスの十字架の死は、わたしたちに何をもたらすのでしょうか。預言者イザヤは、苦難の僕の歌の中で次のように歌っています。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼が受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
(イザヤ53:1〜5)
イザヤが預言するように、イエスの十字架の死がもたらすものがわたしたちの傷のいやしであるとするならば、イエスの十字架こそ借金返済の方程式だと言えます
−1+X=0
X=1
傷を負ったわたしたち(−1)は、イエスの十字架(X)によっていやされるのです。たとえ−1が−10、−100、−1000、−10000・・・になったとしてもです。
主の感謝!!