2015年6月14日      聖霊降臨後第3主日(B年)

 

執事 エレナ 古本みさ

『御国が来ますように!』【マルコによる福音書4章26−34節】

 小学1年生の長男が学校から朝顔の種を二粒もらって帰ってきました。「ママ、一緒に植えよう!」目をきらきら輝かせてわたしの腕を引っ張る息子に「もう暗くなったから明日ね」、「今はだめ。ごはん作らないと」、「ごめん、土曜日まで待って」とか言っているうちに、うれしくて何度も手に取っていたためか、彼は種をとうとうなくしてしまいました。空っぽになった小さなビニール袋をもってシュンとしている息子を抱きしめ「ごめんなさい」と言うと同時に、神さまにも謝りました。「ごめんなさい」。
 旧約聖書のコヘレトの言葉3章には次のような言葉があります。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時...」神さまに定められた時、神さまのご計画を無視して、自分中心に動いてしまうことがどれほど多いことでしょう!
 イエスさまは<神の国>を種にたとえて語られます。人が土に種をまいて、その人が知らないうちに、種は芽を出して成長し、実が熟す。種の成長はそれをまいた人の努力の賜物ではなく、徹底的に神さまの働きである、すなわち、<神の国>は人間が自分たちの力で地上に造り上げるものではないということ、すべてを神さまの力にゆだねることの大切さがそこで言われています。でも、だからといって神さまにすべてお任せ、わたしは何もしないで待つだけでよいということではないはずですよね。わたしたちは<神の国の種>をまくことを神さまから任されています。命じられているのです。まかなきゃ朝顔は咲かない。そのうち、そのうちと言っている間に神さまからいただいた種を失くしてしまってはだめなのです。「神の国は近づいた」。種をまくその時は、そう、「今」です。
 神さまからいただいた<神の国の種>、それは聖書のみ言葉です。イエスさまの生き方と教えを通して示された神さまの愛です。その愛を、自分に与えられた賜物を通して世の中へ示していく。それが<神の国の種>をまくということではないでしょうか。わたしたち一人ひとりがその種をまくならば、たとえそれがどんなに小さくとも神さまは大きく、大きく育ててくださいます。葉の陰に空の鳥が巣を作れるほどに! 一生懸命種をまいて、今日も心を合わせて祈りましょう。「御国が来ますように!」