2015年5月24日      聖霊降臨日(B年)

 

司祭 マタイ 出口 創

アツくもなく雄弁でもありませんが・・・

突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。【使徒言行録2:2−4】

 「炎のような舌」と表現されていて、聖霊が降ると、熱血や熱情、エネルギッシュなど、とてもアツく雄弁になるようなイメージが湧いてきます。アツくもなく雄弁でもない私は、責められているようで、実はシュンとしています。
 炎には熱や光といった性質がありますが、一方で、一つの炎をろうそくや薪などで無数に細分化でき、また一つに集約できるという性質もあると思います。細分化してもすべての炎が各々独立していますし、また集約すれば今度は巨大な一つの炎になります。
 細分化も集約化も自由自在という性質をモデルに、聖霊をイメージできないでしょうか。アツくもなく雄弁でもない私でも、少なくとも洗礼の時に聖霊を授けられています。聖霊が無数に細分化されてすべての人に行き届かせたら、神さまはご自分のもとに集約なさるのではないでしょうか。その時を私たちは、世の終わり、終末、天地創造の完成と呼んでいるのではないでしょうか。