2015年4月19日      復活節第3主日(B年)

 

司祭 マーク シュタール

 今日の福音書(ルカによる福音書24:36−48)で、弟子たちはイエスの復活を疑っていたので、イエスは「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いをおこすのか。私の手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい」と言われました。その後、まだ疑っている弟子達に「ここになにか食べ物があるか?」と聞きました。その意味はイエスの復活は、中途半端あるいはまやかしではないということです。弟子達の前に姿を現したイエスは亡霊などではなく、本当に体も霊も復活したイエスであるということの証明です。そして、イエスは聖書の権威について説いています。だからこそイエスはこう言われたのです。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。」「次のように書いてある、『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。」
 私たちは、このイエスのみ言葉を聞くと、イエスに関心が向きがちですが、今の復活節という季節は、み言葉の焦点がイエスから弟子たちに移る時です。例えば、今週の福音書の一番大事なところは、一見、イエスの復活は聖書が実現するという点だと思いがちです。しかし、そうではないと思います。イエスが最後に言われた言葉が一番大事なのではないでしょうか?48節の「あなたがたはこれらのことの証人となる」。短い文章ですが、この文章で、イエスの復活は過去のものになって、キリストの宣教が未来へ向けて歩み始めるのです。
 「あなたがたはこれらのことの証人となる」。ペトロ、トマス、ステファノ、マルタ、マリア、ヤコブなどです。これらの証人の名前はよく聞き、よく知られています。復活前でも、この弟子たちはイエスに従って、人々をいやし、なぐさめるためにあちこちに行きました。そしてイエスの復活後、今日の福音書の出来事がありました。イエスがもう一回弟子たちの中に現れ、話し、新しい命令を与えられました。私たちはこの話を聞くと、イエスのこと、イエスの言葉に注意がいきますが、実は弟子たちの反応がそれより大事だと思います。弟子達は、イエスを見捨てたとしても、疑ったとしても、拒否したとしても、結局は、より深くイエスを理解することができたのです。私達もまた、そういうものであるかも知れません。
 イースターおめでとうございます。