2015年4月12日      復活節第2主日(B年)

 

執事 セシリア 大岡左代子

「聖霊を受けなさい」

 主イエス・キリストの復活を喜び記念するイースターは、キリスト教においてはその信仰の始まりであり最も大切な祝日・お祭りです。キリスト教国でない日本でも、最近はデパートなどではイースターにちなんだお菓子やグッズが並ぶようになりましたが、クリスマスほど人々の心には浸透していないようです。それは、イースターが「誕生日を祝う」という日常生活の出来事と結びつきやすいクリスマスとは違い、「死からの甦り」というある意味で信じがたいことを記念する日であり、より宗教的であり、信仰の事柄に深く結び付いているからかもしれません。
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた・・・・・。」その日の朝(イエスが十字架に架けられた日から三日目の朝)、マグダラのマリアは復活の主イエスに出会いました。マリアは他の弟子たちに「わたしは主を見ました」と言い、イエスがマリアに告げられたことを弟子たちに伝えました。ところが、その弟子たちは締め切った家の中でユダヤ人たちを恐れていました。この弟子たちには、マリアの「主を見ました」という告白も、イエスからの伝言も聞こえなかったのでしょう。どんな恐怖に怯えて家の戸に鍵を閉めていたのでしょうか。イエスの弟子だと捕えられることを恐れたのでしょうか。閉ざされていたのは彼らの心だったのではないでしょうか。
 そこにイエスが来て言われました。「あなたがたに平和」「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。イエスが弟子たちに手とわき腹を見せると、彼らは喜びました。そしてイエスは彼らに息を吹きかけて言われます。「聖霊をうけなさい」。
 「息を吹きかける」という言葉は、最初の人間の創造(創2:7)を思い起こさせてくれます。イエスが弟子たちに聖霊を吹き込むことは第二の創造の業であり、神さまの業でした。それは新たな「命」の始まりの宣言でもありました。息を吹きかけられ聖霊を与えられた弟子たちは復活の主イエスに出会うことによって、新たな歩みを始めることになります。怯えや悲しみが喜びに変わり、心が開かれイエスが彼らに伝えられた福音を世界に伝える者へと変えられていったのでした。
 「イエス・キリストの復活の喜びに与る」とは、わたしたち自身もイエスに息を吹きかけられ、新たにされて歩みだすことを決意することでもあります。その意味でイースターは、わたしたちにとっての第二の誕生日とも言えるのではないでしょうか。古い自分を捨て、聖霊によって新たにされて主イエスと共に歩みだしましょう。