2015年4月5日      復活日(B年)

 

司祭 クレメント 大岡 創

 日曜日の朝早く、3人の女性たちが主の墓に急ぎました。亡骸に香料を塗ろうとしたのです。彼女たちは不安でした。墓の入口を塞いでいる石は大きく自分たちだけでは動かせそうにありません。善意だけではどうにもならないことでした。私たちもしばしばこうした大きな石に行きあたります。その前ではただ怯え、不安や絶望に襲われるしかありません。ところが聖書(マルコによる福音書16:1〜8)では行ってみると「石は既にわきへ転がしてあった」と記されています。不安がる彼女たちに天使が「主は復活なさった」と言うのです。暗い墓の中に閉じ込められていた主は復活され、出口を塞いでいた石を転がして明るい外へ出て行かれたのです。考えてみれば私たちもあの暗い中にいたのではいたのではないでしょうか。それぞれに神さまの方を向いて生きてきたかどうか、自分を見つめることを勧められています。
 半信半疑になって主から離れていた弟子たちの前にも現れてくださって彼らの生き方が変えられていきました。弟子たちにとっては無力な人は最も力を与えて下さる人に、蔑まれ捨てられた人は最も愛を与えて下さる人に変わりました。先月行った聖地旅行ではパレスチナの人々が置かれている様子を知る機会が与えられましたが、イスラエルとの関係の中で彼らたちの困難がどんなに絶望的であろうと決して諦めず出来ることから新たな一歩を踏み出して行こうとする姿勢から復活の主をひたすら仰ぎ見る信仰を強く感じます。
 私たちにとっても、弟子たちと同じように私たち自身の中に復活の主を迎え入れ、力と愛を与えられて共に生きていくことを新たに確認していくことではないでしょうか。主を自分たちの命の源として受け入れたときに私たちもともに復活させられていくのです。そのために辛抱強く待ってくださる神とともに心新たに歩んでいきましょう。