司祭 テモテ 宮嶋 眞
「あなたはどうしますか?」【ヨハネによる福音書6章4〜15節】
新約聖書の4つの福音書のすべてに出てくる5000人の人への給食のお話しです。イエス様のエピソードの中でも、それだけ印象深いお話だったと思われます。
イエス様から、弟子のフィリポに「この人たち(群衆)を食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と、彼を試そうとする発言がなされます。慌てたのはフィリポです。彼は「たくさんの人が集まったなあ。さすがイエス様の人気はすごい。」と、ある意味無責任に群衆を見つめていたように思えます。いきなり現実に引き戻され、難題を吹っかけられたのです。イエス様は5節に「大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て」この発言をしたと書かれています。イエス様は、ご自分の周りに集まってきた人々の困難をしっかりと見つめられ、「フィリポよ、おまえにもできることはないか?」と呼びかけられたのではないでしょうか。しかし、フィリポは「200デナリオン(半年分の給与に匹敵する金額)のパンでも足りないでしょう。とても無理です。」としり込みしてしまいました。
もう一人の弟子のアンデレは、イエス様のもとに人々を連れてくるのが得意な弟子でした。ここでも彼は一人の少年を連れてきて、「ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいます。けれどもこんなに大勢では何の役にも立たないでしょう」と言います。アンデレも、少しは行動してみたのですが、やはり無理だとあきらめてしまいました。
イエス様は「ご自分では何をしようとしているか知っておられた」とあります。すなわち、少年のパンと魚を受け取り、感謝の祈りをささげたのち人々に分け与えられました。
すると、5000人の男が満腹し、女性や子どももいたはずですから、もっと多くの人々が満たされたのです。
イエス様は、この子どもからパンと魚を無理やり取り上げてみんなに分けたのでしょうか。そうではないと思います。大人の弟子のフィリポやアンデレが、無理だ、無理だとあきらめてしまうなかで、この少年は、イエス様にわずかな食料を自ら進んでおささげしました。「こんなに少ないわずかなものでどうなるのか」と大人たちがあきらめて放棄する中で、少年は「少しでも用いてくださるなら」とお捧げしました。イエス様はそれを用いてくださいました。
世界は、この小さな力が集まってできています。イエス様に招かれて、イエス様に求められてこの小さな力を捧げる人たちで世界が動いていきます。微力だけれども、無力じゃない。イエス様に捧げることを通して、困難を抱える多くの人々の必要を満たしてくださるのです。今も、イエス様は「あなたはどうしますか?」と、一人ひとりに試されるかのように問いかけておられます。それはイエス様からのお誘いなのではないかと思います。