司祭 アンナ 三木メイ
「あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」【マルコ8:33】
イエス・キリストの受難を想い起こす「レント(Lent)」の期節に入って2回目の主日の今年の聖書日課は、イエスが弟子たちに初めて受難の予告をした場面です。その予告は、弟子たちにとっては想像もしていなかった恐ろしい内容でした。「これから私は多くの苦しみを受けて、殺されて、三日の後に復活することになっている。」弟子のなかでも中心的な立場にあったペトロは、これを聞いて「イエスをわきへお連れして、いさめ始めた」。この時にペトロが何を話したのかは書かれていません。ただそれを聞いたイエスは、「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と弟子たちとペトロに向けて厳しい言葉を返されたのです。ここではペトロの気持ちを考えながら、何をイエスに伝えたのか想像してみましょう。ペトロはガリラヤ湖辺りの漁師でしたが、イエスの「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」との招きで弟子となりました。この時に彼は自分のそれまでの仕事、故郷、家族との生活を捨てて従いました。それは、この方こそ神の子、メシアだと信じたからでしょうし、それまでの生活を捨ててこの方の弟子となることで、今まで以上の生きる意味、価値が見いだせるだろうと思ったからでしょう。その後、病人や障がい者を癒し福音を語り伝えるイエスに従って各地を巡ってきたペトロ。イエスの奇跡的な癒しと新たな教えに対する群衆の期待と人気が急激に盛り上がり、大勢集まってくる。それを間近で見ていたペトロは、イエスが世間で霊的な力をもった「偉い人」と見なされていくことにわくわくしていたに違いありません。そしてこの「偉い人」の一番弟子である自分にも誇りをもてたでしょう。しかし、イエスの受難と復活の予告は、これまでのペトロのイエスへの期待や憧れを覆すようなものでした。だから彼はイエスに「そんなことを言うと、これまで従って来た弟子たちや群衆が離れてしまいますから・・・」と言っていさめたのではないでしょうか。ペトロは、他の人から自分がどう見られているかをとても気にするタイプだったと考えられます。イエスが逮捕された後に「イエスなど知らない」と否定してしまった出来事にもそれが現れています。それは周りの人びとから自分が否定されないための自己防衛です。その自己防衛から出た想いをすべてに優先させて生きていこうとする者に、イエスは「サタン、引き下がれ」と叱っておられるのです。神が私たちをどう見ておられるだろうかということをいつも心に留めながら生活し、そして他者から否定されたくないとか偉い人と思われたいという自己防衛的な感情に振り回されることなく、自分の命をかけて真の愛を実践していけるように自分自身を見つめ直す。そのことをイエスは弟子たちに求めておられたのではないでしょうか。大斎節の期節、自分の心のなかの「自己防衛感情」はどんな時にどういう働きをしているか、今一度見つめ直してみましょう。