2015年2月1日      顕現後第4主日(B年)

 

司祭 サムエル 小林宏治

「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」【マルコによる福音書第1章21節〜8節】

 イエス様は、弟子たちを連れて、カファルナウムという町に着きました。そして、安息日に会堂に入って教え始められました。するとどうでしょう。「人々はその教えに非常に驚いた。」というのです。なぜなら、「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」と。
 今日のお話は、「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」という小見出しのところです。イエス様の登場は、人々に大きな衝撃を与えました。権威ある者として、権威ある教えを語られたからです。
 わたしたちが大切にする権威とは、何でしょうか。国語辞典から、権威について見ると、まず、「人を押さえつける力。人がひれ伏して従うような卓越した力。」とありました。次に、「信頼性」。もう一つが、「学問や技術など、その道のすぐれた専門家。第一人者。」とありました。また、別のところには、権威とは、「自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。」とありました。聖書辞典によれば、「聖書が示す権威とは、神にのみ存し、この世の他の権威は神に服従すべきものであって、神に由来する権威こそ、承認されるものという見解をとる。」と示されていました。
 聖書が教えていることは何か。それは、イエス様の働き、その教えに、神の権威が証明されているということです。
 第1の出来事は、イエス様がある時、安息日に会堂に入って教えられていました。その時、人々はその教えに驚いたという出来事です。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」と説明しています。
 また、第2の出来事としては、会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて、イエス様が「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行きました。その時、人々は皆驚いて、論じ合いました。「権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」そして、イエス様の評判が広まったという出来事です。
 イエス様は2つの出来事において、権威を示されました。律法学者のようにではない権威です。律法から示されたものではなく、イエス様が持つ神からの教えを示されました。また、神に敵対する悪霊に対する力、またいやしをイエス様は示されました。その出来事に神の権威が示されていたということです。そのことを信じる時、わたしたちは、大胆にイエス様に従うことができるのです。わたしたちも、イエス様にならい、神と人とに仕えるものでありたいと思います。