2015年1月4日      降誕後第2主日(B年)

 

司祭 ヨハネ 石塚秀司

「神様の愛の命を守る」【マタイによる福音書2章13−15,19−23】

 今日の福音書は、家族の愛の物語と読むことができます。神様から与えられた幼い命を、それこそ命がけでヘロデたちの手から守る父ヨセフと母マリアの物語です。最初の13節に「ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」とありますが、これは、東の国の3人の占星術の学者たちがヘロデ王の宮殿にやってきたことにその原因がありました。彼らは王の誕生は当然ヘロデ王家の出来事と思い、王宮を訪ねて「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにいますか」と聞きました。すると、この言葉を耳にしたヘロデ王は不安を抱きました。これは、将来自分の存在の脅かす敵対者の出現か。そして、3人の学者を呼び寄せて「居場所が見つかったら知らせて欲しい、自分も拝みに行くから」と告げました。しかし、そのヘロデの言葉に下心を感じた3人の学者は、幼子イエスには会ったけれども、ヘロデ王にそれを知らせることをせずに帰ってしまいます。さあ、裏切られたと知ったヘロデ王は怒りました。そして、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺せという命令を兵隊たちに出します。そうした出来事の中でのことです。ヨセフとマリアは必死に幼子イエスの命を守ろうとします。こうした出来事をイエス様のご降誕の出来事に続いて聖書は伝えています。
 このヘロデ王という人物について少し説明しておきますと、紀元前37年から紀元4年にわたってローマ帝国の支配下でユダの王として君臨した王です。主イエスはこのヘロデ時代の末期にお生まれになったことになります。ヘロデ王は、政治権力者として非常に有力な人物とされていたようです。政治・外交に優れた手腕を発揮するし、エルサレムをはじめ多くの町に、神殿、競技場、野外劇場などを造り、ギリシャ・ローマの文化を積極的に導入していったといいます。しかしその一方で、残虐な王として悪名高き王でもありました。自らの地位を守るためには手段を択ばない。妨げとなる疑いのある者はたとえ身内であろうと、容赦なく殺害していったことで有名です。妻とその母、兄弟、叔父、さらには3人の自分の息子までも殺害していきます。そんな暴君ヘロデが、いずれ邪魔な存在になりかねない幼子イエスの命を奪おうとしたことを聖書は伝えているのです。
 どんなに恐怖だったでしょうか。今のような何かあったら守ってくれる警察もいなかったかもしれない。住むところも食べる物もそう簡単には手に入らなかったでしょう。ベツレヘムからエジプトへの逃避行って、簡単に言うけれど、飛行機も電車も自動車もない時代、しかも砂漠のような荒れ野が立ちはだかっているような所での逃亡生活です。しかも生まれたばかりの赤ちゃんを抱えて、それはどんなに恐れと不安と困難が伴うものであったことでしょうか。
 しかしそんな中で、神様の言葉を唯一の頼りとして生き抜き、守り抜いていくんですね。ヨセフとマリアはこんなに困難な状況にあって、神様の言葉を信仰をもって受け止めていきます。それが彼らを支え守りました。そして、家族の愛を守り続け、神様からの命を守っていくことなるのです。そして私は思う。そのことと私たちがこうしてその命の恵みに今与っていることとは決して無関係ではありません。
 ヘロデ王に宿っている命は、多くの闇と恐怖と死を作り出していきました。負の連鎖をどんどん作り出していきました。それに対して、神様を信じる人たちは愛の連鎖を産み出していきました。負の連鎖にただ流される生き方ではなくて、それとは異なる愛の連鎖を創り出す生き方、道を示してくださいました。
 きょうの福音書のヨセフとマリアの姿に、私ども人間のあるべき姿、キリスト者またキリスト教会のあるべき姿を見る思いがします。私たちも、この混乱と闇が絶えない世にあって、神様の命を守り、信仰を守り、家族の絆を守っていくんです。そのような歩みでありたいと思います。皆さんにとっても今年も、身近なところで愛の絆を豊かに感じる一年となりますよう、お祈りいたします。