2014年12月7日      降臨節第2主日(B年)

 

執事 エレナ 古本みさ

『主の道を備えよ 〜今わたしにできること〜』
【イザヤ40:1−11、Uペトロ3:8−15a,18、マルコ1:1−8】

 クリスマスが近づいてきました。降臨節のこの時期、わたしたちは自分たちの心にイエスさまをお迎えする準備をすると同時に、未来における主の来臨に備えることについて思い巡らすよう促されます。イエスさまが来られる! わたしは子どもの頃、本来喜びであるはずのこの言葉に恐怖を覚えて眠れなくなったことがありました。「今晩来られたら困る。絶対わたしは地獄へ連れて行かれる、家族とも離れ離れになっちゃう。イエスさまもうしばらく来ないでください。きっとその間にいい子になりますから」。このように祈りながら布団の中で震えたものです。
 洗礼者ヨハネは、イエスさまが来られることに備えて宣教しました。旧約の時代にイザヤら預言者たちが語り伝えた救い主の到来がいよいよ実現することを神さまから知らされたのでしょう、その準備として人々に悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。「悔い改め」と聞いて、わたしたちの多くは「行いを正していい子になる」ということを思い浮かべます。そしてそこにある動機は自分が地獄に落ちないためととらえがちです。しかし、イエスさまが来られるための準備とはそういうことなのでしょうか。「悔い改め」とは原語のギリシャ語において、「神の方に向き直る」ということを意味します。それは今まで自分中心に生きてきたのをくるっと方向転換して、神さま中心に生きるということです。神さま中心に生きるとは、すなわちこの世界は神さまのものであるということを覚えるということ、そして神さまのために生きることです。すべての人が神さまのために生きることができたとき、イエスさまが目指しておられた神の国は完成します。
 わたしたちが今待ち望んでいるもの、それは裁きではありません。「わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」(Uペト3:13)。神の愛が満ち溢れた世界、神の国の完成に向けて、わたしたちは今こそ神さまの方を向き、主の道を備えることが求められているのです。わたしたち一人ひとりに神さまから与えられた賜物を自分のためではなく、神さまのために、そして自分以外の人のために使うことによって、主の道は整えられていきます。
 降臨節、それは年末の忙しい時期と重なり、毎年あっという間にクリスマスが来る気がします。クリスマスまであと、2週間と少しばかり。自分に神さまが与えてくださった賜物は何かを知ると同時に、新年に向けて、主の道を備えるために自分は何をさせていただけるか、心を静めて神さまとお話ししてみませんか。