司祭 ミカエル 藤原健久
安心して、目を覚ます
本日の福音書(マルコ13:33−37)の中で、イエス様は何度も言われます。「目を覚ましていなさい。」だから、本日の説教のテーマは「目を覚ましていなさい」と言うことになるでしょう。そう聞くと、皆さんはすぐに次のように思われることでしょう。「藤原、お前が言うな。」ご存じの通り、私はすぐに居眠りをします。いつでもどこでもしてしまいます。真に申し訳ないと思っています。原因は、日常の睡眠不足でしょうが、もう一つの原因に、眠りが浅い、というのがあると思います。多分私は、寝ている間に、いびきをかいたり、息が止まったりして、眠りが浅いのだと思います。眠りが浅くて、十分な眠りがとれず、そのためついつい居眠りしてしまう、と言うのだろうと思います。
イエス様はわたしたちに「目を覚ましていなさい」と言われます。これは肉体の目のことではなくて、心の目、魂の目のことだろうと思います。わたしたちは、イエス様が言われるように、心の目をしっかりと開いておこうと思います。けれどもそのためには、まず、しっかりと眠っておかなければなりません。これも、肉体の眠りのことではありません。わたしたちの心が、しっかりと休んで、リフレッシュするようにしなければなりません。
わたしたちの体が、ゆっくり休むと元気になるように、心がゆっくり休んで元気になるようにするにはどのようにしたらいいでしょう。わたしは、それは、安心することではないかと思います。わたしたちは、安心することで、心がホッとして、リラックスします。心がリラックスしてこそ、「目を覚ましていなさい」という緊張することも出来るのだろうと思います。
では、その安心はどこから来るのでしょう。それは、愛されることからではないでしょうか。特に、神様から愛されていることによって、わたしたちは心の奥底に、深い安心を得ます。
神様から愛されているということを、わたしたちは時に、実感できないかも知れません。その時には、神様から愛されていることを信じなければなりません。聖書の学びも必要でしょう。聖書は一貫して語っています。神様はわたしたちを愛していると。わたしたちがどう思おうと、神様はわたしたちを愛している。これは歴然たる事実であると。
神様の御子イエス様は、十字架と復活によりわたしたちを救ってくださいました。それは全てわたしたちを愛しておられるからです。愛のないところに救いはありません。神様は、わたしたちを愛しているからこそ、わたしたちを救おうとされるのです。
本日から降臨節が始まります。降臨節はイエス様の誕生を覚えるときです。この時に、わたしたちは、改めて、イエス様の十字架と復活に思いを馳せたいと思います。そして、神様から愛されているという事実を確認し、心の目を覚まして、この地上の生活を歩んでゆきたいと思います。