司祭 マーク シュタール
特祷
わたしたちの避けどころ、力であり、また信仰の源である神よ、どうか、主の教会が信仰をもってささげる祈りに耳を傾け、真心をもって願い求めることをかなえてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
旧約聖書のイザヤ書【25:1〜9】に、“見よ、この方こそ、わたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び踊ろう。”そして使徒書【フィリピの信徒への手紙4:4〜13】のテーマ:わたしたちを強めてくださる神様のおかげで、わたしたちにはすべてが可能です。また、今日の福音書【マタイによる福音書22:1〜14】でのイエスのメッセージは、「神の国」とはどんな所であるかということを示しています。神様は、すべての人が神の国に入ることが喜ばしく、望むべきことながら、わたしたち一人一人に求めていることがあるということを説いています。神の民はその義を証明しなければならない。福音書では、“婚礼の礼服を着ていない者”はイエスの福音を聞いたのに、新しい生き方をしない人という意味です。そのような人は、婚宴や神の国に入ることはできないのです。
今日の聖書のみ言葉の意味は読みやすく、深く、有名な話です。これらの話を最初に聞いた人々は素朴で、自然に通じた遊牧民だったと思われます。しかし、私達は都市に住み、人工的な環境に身をおいています。私達は家畜や作物、土地、果物、自然という物に疎く、神様の伝えよとするメッセージの真意をなかなか理解することができません。私達は土や小麦、葡萄、羊、山羊といった物をちゃんとは知らないからです。
今日の詩編はいいたとえです。一番有名な詩編、23編です。一節の最初の部分だけでも十分話すことがありそうです。“主は羊飼い”という時、その言葉の意味は深く、神様と人とがともに働くための確かな関係があることを意味します。ダビデは自分の経験から羊飼いによって、羊の状態が変わることを知っていました。ある羊飼いは優しく、賢く、勇敢で献身的でしょう。ある羊飼いの元では、羊は苦しみ、飢え、困難に次々ぶつかることでしょう。違う羊飼いの元では羊はすくすく育ち、満足して繁栄するでしょう。ダビデの時代には、皆、そういうことは知っていましたが、羊飼いがいかに羊の状態を左右するかということはわたしたちには実感として分かりません。
しかし、現代の人々でも、良き羊飼いとして、主イエス・キリストは呼び止め、自分のものとして下さり、育んで下さいます。わたしたちには自分たちが神様のものであることを認識する義務があります。神様は常にそばにいて下さいます。神様は人々の中に分け入り、わたしたちを導き、わたしたちが見守りの中にあって歩めるようにして下さいます。
主に感謝