司祭 バルトロマイ 三浦恒久
つなぐこと、解くこと【マタイによる福音書18:15〜20】
はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイ18:18)
保育園での一場面です。3歳のこどもが、水道の水を奪い合って喧嘩になりました。
「ぼくが先」
「いや、ぼくだ」
二人とも一歩も譲りません。この一部始終を目撃していた5歳のこどもが、「Aちゃんが悪いよ。あやまりなさい」と言いました。でも、Aちゃんは聞く耳を持ちません。そこで、傍らで見守っていた保育士が声をかけます。
ここで大切な事は、保育士の言葉かけです。どのような言葉かけをするのか。二人のこどもの思いを受け止めながら、Aちゃんにどのような教育的指導をするのかが重要です。そして、二人が納得し、遊びを再開できるかどうかというところまで心を尽くさなければなりません。
イエスは弟子たちに言われました、「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と。ここでイエスは、弟子たちの使命、つまり、つなぐこと、解くことの重要性を強調しています。
保育士のごとく、二人のこどもの間のもつれた糸を解きほぐすように、そして、新たに糸を結び合わせるようにと、イエスは弟子たちに求めておられるのです。
津軽弁で「カチャクチャネ」という動詞があります。たとえば、釣り糸が絡まってほどけない時に、「カチャクチャネナ」と言います。「イライラするな」という意味です。絡まった糸を解くには、根気と落ち着きが必要です。時間もかかります。
ですから、「カチャクチャネナ」という津軽弁にはあきらめの気持ちが込められています。と同時に、どうにかなるさというおおらかな気持ちも秘められているのです。
絡まった糸の両端を切ってつなぎ合わせれば、事は簡単です。しかし、イエスが弟子たちに求めておられるのは、絡まった糸を丁寧に解きほぐす事なのです。