2014年7月6日       聖霊降臨後第4主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 石塚秀司

「わたしのもとに来なさい」【マタイによる福音書11章25−30節】

 カトリックの司祭であり、鎌倉にあるイエズス会のミッションスクール栄光学院で初代校長を務めたグスタフ・フォス神父が、『日本の父へ』という著書の中で第二次世界大戦後の日本における一番大きな禍は家庭の崩壊であると言っています。そして、ローマの博物館でローマ帝国時代の墓碑銘を見た時にこのような言葉が多数刻まれていたのを見て驚いた時の体験をこのように述べています。「かつて繁栄を誇ったローマ帝国も、社会の頽廃のゆえに滅亡してしまったことは、あまりにも有名なことである。これを見て、本当に驚き、がっかりした。・・・・『どうでもいいではないか。生きている間、せいぜい楽しめ、明日は死ぬのだから』」。この刹那主義的快楽追求の人生観がローマの社会を頽廃の沼に引きずり込んでいったということなのでしょうか。
 生活の基盤である家庭で人々がどのような思いで生きているかは、社会や国にも大きな影響を与えていくことは間違いないと思います。この家庭の崩壊は社会や国の崩壊につながることはすでに歴史的教訓として周知の事実です。その改善の決め手は何かについてグスタフ・フォス神父は、政府とか行政府ではない。第1に親であり、健全な家庭なんだと主張しています。
 この健全な家庭というのは、何の欠点も弱さもない完全な父親、母親のもとでの、一寸の隙もない秩序が支配した家庭ということではないと思います。むしろ欠点も弱さも失敗もある。不和もある。そうした不完全なものであることをお互いに受け止めて、そこから乗り越えていこうとすることではないでしょうか。そうした親の姿を見ながら、子どもも生きていく大切な術を学んでいくのだと思います。フォス神父はこのようにも言っています。「問題になるのは、家庭の外にある事情だけではない。親の信念の喪失。人間とは、人生とは、子育てとは、教育とは、についての信念を、親や大人たちが持てないでいることが大きな原因となっている。この親の信念喪失は、子育て、家庭での教育にとって非常にマイナスであるということを銘記すべきである」と。
 この家庭の崩壊や社会の頽廃が深刻化してくると、当然のことながら、そこで生活している人たちは精神的な苦痛・疲労感を覚え、様々な出来事の中で、信頼よりは不信感、愛することより敵対心や憎しみ、安心ではなく恐れを感じるようになってくるのではないかと思います。そして、どうして良いのか分からず次第に心の扉を閉ざしていくような気がします。そのような私たちに、マタイによる福音書28節以下のみ言葉は、新たな希望、新たな生に向かっての招きの言葉であると言えます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 新共同訳聖書では「わたしのもとに来なさい」というタイトルが付けられています。重荷を背負い心身ともに疲れ切った状態から癒されるところがあるとしたら、それは私どもにとってどんなに救いとなることでしょうか。
 ここで「休ませる」と訳されている言葉には「新しい、新鮮な命の力を与える」という意味があると言います。例えばこういうことでしょうか。長い旅を続けている人がいるとします。水筒の水も飲み干してしまった。喉は渇き、腹も減ってくる。その時にオアシスに至り新鮮な水が流れ出ている泉を見つける。そのほとりに腰を下ろしてひと休みしながら泉の水で喉を潤す。「ああ、生き返った」と叫ばずにはいられない。こういうことでしょうか。同じように、飢え渇いた心を潤し神様の愛の命に生かされるわたしのもとに来なさいと、主は招かれるのです。
 では、そのようにして疲れた者、重荷を負っている者が主イエスのもとに来てどうするのでしょうか、ただ黙って何もせず眠っていることなのでしょうか。そうではありません。主に学び主の軛を負うのです。そもそも軛というのは、重い荷物を運ぶために牛などの家畜の首に付けられる道具ですが、それをここでは重荷を負う時の象徴として用いています。自分の願望や利益を追求するために様々な重荷を負い、またそこで引き起こされてくる問題の重荷を背負っていく、そういう軛の負い方生き方もあります。家庭の崩壊という現象の背景にはこれがあるのかも知れません。しかし主イエスはそれとは違う軛を負って生きる生き方があることを示されます。それは神様のみ心に生きる道です。信仰によって歩む道です。わたしのもとに来てそれを学び、そこに生きなさいと私たちを招いておられるんです。
 グスタフ・フォス神父は、自分の育った家庭を振り返って、このように述べています。「教育とは何であるか、どうあるべきか、それを私に教えてくれたのは父や母であった。私の両親の教育に対する熱意、信念、そして特に常識は、私のやってきた専門的な勉強よりも、私の教育観を培ってくれた。私の両親の信念や勇気の根源は信仰にあった」。今この日本で、一人一人の生き方考え方にこのことを回復していくが日本の社会の復活、再生のためになくてはならないことではないかと思います。