2014年6月29日       聖霊降臨後第3主日(A年)

 

司祭 セオドラ 池本則子

親子の愛より優先するイエス様への愛

『わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族のものが敵となる』 (マタイによる福音書10:34−36)

 「イエス様がこの世に来られたのは剣をもたらすためだったの?」「イエス様がこの世に来られたのは平和を実現するためではなかったの?」「イエス様ご自身が平和そのものではなかったの?」「家族ってこの世の単位の中で一番愛の絆に結ばれた心安らぐ関係ではなかったの?」「イエス様の本当の目的は家族を敵対させることだったの?」
 いいえ、イエス様がこの世に来られたのは、私たちを剣から救うため、平和をもたらすためでした。では、なぜ「平和ではなく剣をもたらすために来たのだ」と言われたのでしょうか。

 イエス様は言われます。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」と。
 「父と母を敬え」とモーセの十戒で命じられています。中にはわが子を虐待してしまう親もいますが、親子は基本的には無償の愛でつながっている関係と言っていいと思います。親は「あなたのためを、あなたの幸せを思って」と子どもの結婚や職業選択などで本人の希望に反対したり、「あなたの将来のため」と言って、勉強を強制したりすることがあります。もちろんそれは、子供のことを考え幸せを願っているように思いますが、そこには親自身の願い、親自身が考えている幸せの価値観に子供をはめ込もうとしているということはないでしょうか。また、子どもが親を愛する場合でも、自分にとって望ましい親、ということはないでしょうか。それは自分の感情を中心とした愛であり、イエス様の思いとは違うのかも知れません。たとえ無償の愛であると思われる親子関係でも人間の思いだけで判断すると敵対する可能性があるので、神様の思いで考えることを忘れないように、と教えられているのではないでしょうか。

 100%無償の愛を実践できるのはイエス様以外にはいません。無償の愛はいつどんな時でも、どんなことにおいても、自分の思いや願いより、相手の思い・相手の幸せを優先します。イエス様はたとえ人からどんな目で見られようと、非難されようと、殺されそうになろうと、苦しんでいる人たちと共にありました。そして最後には苦痛と屈辱に満ちた十字架というもっともみじめな姿で、私たちに対する100%の無償の愛を示してくださいました。

 イエス様がこの世に来られたのは決して剣をもたらすためではなく、イエス様が望まれているのは、決して家族が敵対することではありません。「父・母・息子・娘よりもイエス様を愛することによって、親子の関係も、よりふさわしい関係になる」ということだったのではないでしょうか。