執事 ダニエル 鈴木恵一
幼子イエスを腕に抱き【ルカによる福音書2:22−40】
2月2日は被献日。イエスさまのお誕生から40日目にあたります。幼子イエスさまが神殿で聖なる者として献げられたことを憶えます。
イスラエルの律法では男の子を出産した女性は40日目に清めの式を行うことになっていました。また、人も家畜も初子はすべて神のもので、神に奉献することになっていました。
イエスさまの両親も律法の定めに従い、初子であるイエスさまを献げるためにエルサレムの神殿に向かいました。そこでシメオンとアンナという2人の預言者に出会いました。
シメオンは、「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望」んでいたと記されています。そしてメシヤにあうまでは「決して死なない、とのお告げを聖霊から受けて」いました。シメオンはイエスさまを取り上げて、主を賛美しました。この賛美の言葉が、夕の礼拝でも献げられる。シメオンの賛歌です。そのとき女預言者アンナもそこにいて、神に感謝をささげました。アンナは「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に」幼子のことを語りました。
当時のイスラエルは、ローマの支配下にあり、救い主の訪れ、神の国の到来を多くの人々が待ち望んでいました。シメオンは、聖霊に満たされてイエスさまを抱きあげ、「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」と、イスラエルの人々が待ち望んでいたことよりも遙かに超えた福音の普遍を歌いました。
神の国の福音は「平和の福音」です。救い主イエスさまは、この世界のすべての人間の罪がつくりだす隔ての壁を取り除き、平和の実現をご自身の生涯、十字架と復活によって示されました。
シメオンは、幼子のイエスさまのなかに、この平和を実現する救いを見たのでした。この世界を分断する隔ての壁を、権力や武力といった強い力によって打ち壊すのではなく、無力にも見える幼子の姿に、その救いの実現を見るのは、私たちには不思議にも思えます。
しかし、シメオンが幼子のイエスさまを抱き上げるとき、これまでの人生の中で抱えていた、怒りや不安や願いをすべて手放すことができたのではないでしょうか。
わたしたちも、誰かを対立したり退けたりして自分を守ろうとしてしまいます。それは近年の社会にある不安と無関係ではないものです。しかし、わたしたちが幼子のイエスさまを腕に抱くとき、そのような不安や怒りを抱えた人間の思いを、イエスさまによって手放すことができるのではないでしょうか。
イエスさまの歩まれた生涯を思い、その生涯を私たち自身の生命とすることができるように神さまのお導きを祈りましょう。